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「サタンもしくはルシファー」第5話
パウロ2世との面会を終えた俺は、イタリアでどうしても行きたいところがあった。
「サンタアガタ・ボロネーゼ」
イタリア・ボローニャの北東にある小さな町で、ランボルギーニの歴史が詰まった、スーパーカーマニア垂涎の聖地だ。
俺は子供の頃、「スーパーカーブーム」で育った。衝撃的だったのが、ランボルギーニ・カウンタック。あの名車を、サンタアガタの町で目の当たりにした。俺は興奮した。
どこまでも低く、流線型のフォルムに、ドアが頭上に開くシザースドア。伝統のV型12気筒エンジンをミッドシップに搭載する。今見ても斬新なスタイルだ。
俺がどうしてランボルギーニを、こんなに好きになったかと言うと、その誕生秘話を本で読んだからだ。
創業者のフェルッチオ・ランボルギーニは、農耕用トラクターで財を築き、フェラーリの持ち主でもあった。
ある日、愛車が故障し、修理を依頼すると、そこに居合わせたフェラーリのオーナー、エンツォ・フェラーリから「お前にスポーツカーは似合わない。せいぜいトラクターでも作ってろ」と馬鹿にされた。
頭に来たフェルッチオが、「フェラーリを超えるスーパーカーを作ってやる」と息巻き、立ち上げたのがランボルギーニ社なのだ。
実際、1966年にランボルギーニ・ミウラが登場した時は、エンツォも慌てたという。イタリアのデザイン工房、ベルトーネによる流麗なスタイリングのうえ、量産車として世界初の、ミッドシップ・エンジンを搭載したスポーツカーだったからだ。
同じベルトーネのデザイナー、ガンディーニが作ったカウンタックが世に出ると、フェラーリはこれに対抗して、ピニンファリーナがデザインした、V型12気筒をミッドに積む、初のロードゴーイングカー、365GT4BB(のちの512BB)を発表した。
以来、ランボルギーニとフェラーリはライバルとして、スーパースポーツカーを手掛けてゆくことになる。
もっとも、その開発においては方向性が異なる。ランボルギーニが、ロードゴーイングカーや、GTカーの生産で走りを磨いたのに対し、フェラーリは、フォーミュラワン(F1)のレースで培われた技術をフィードバックして、スポーツカーの量産化を図るという形を取っていた。
エンツォが「馬鹿な金持ちどもがフェラーリを買ってくれるおかげで、レース資金が得られる」とうそぶいた話は有名だ。
このような背景もあって、俺はエンツォが嫌いになり、ランボルギーニ党になっていった。
幼いころのこんな体験が高じて、俺は16歳になるや否や、レーサーになった。
カートレースから始め、ホンダ・シビックのワンメイクレースに出るようになった。
その後、国内のF3カテゴリーのフォーミュラーカーに乗るようになり、年々成績を伸ばしていった。
しかし、1998年9月の公式戦、岡山・英田サーキットで行われた、F3グランプリで接触事故を起こしてしまい、頚椎を損傷。
以来、現役を退きいまに至っている。
サンタアガタをひとしきり見物した後、俺は20万ユーロもするオレンジのランボルギーニ・ムルシエラーゴ(スペイン語でコウモリの意味)を、プラチナカードで即買いした。
排気量6.5リットルのV型12気筒エンジンをミッドに積む、ランボルギーニ伝統のフラッグシップモデルだ。
640馬力のビッグパワーを4輪で駆動する。ギアは6速のセミオートマ(パドルシフト)で、レーサーだった俺には、とても扱いやすいマシンだった。
俺は、あらかじめ予約しておいたイモラ・サーキットを、1日貸し切りにして、このムルシエラーゴをじっくりと味わうことにした。
イモラ・サーキットは、1994年5月1日に行われたF1レースで、数々の記録を打ち立てて天才と称されたドライバー、アイルトン・セナがクラッシュし、命を落とした因縁の場所だった。
尊敬すると同時に、憧れだったセナが死んでしまった。俺は、そのショックが尾を引き、自身のレースにも、しばらく影響したのを覚えている。
いま操っているのは、ムルシエラーゴである。運転席の真後ろから奏でるムルシエラーゴのV12サウンドは、まさに官能的。5000rpmまで軽々と吹け上がり、レブリミットの8400rpmまでストレスなく回る。野太い咆哮は、エンジンの回転数が上がるにつれ、さらにけたたましいものとなる。
俺は、アクセルスロットルを踏みながら、目の前のウインドウスクリーンに、思わず吸い込まれそうな恐怖と闘いつつ、持て余すパワーとスピードに、酔いしれていた。
対照的に、そのスピードを殺すカーボンセラミックブレーキは、時速100キロからでも、文字通り瞬時に停まってみせる。
クルマの性能を存分に味わいながら、俺はスーパーマシンを操る喜びに浸っていた。
イモラ・サーキットは全長約5㎞。グランプリ・サーキットでは珍しく、反時計回りに設定されている。
セナが命を落とした「タンブレロコーナー」は、当時は大きく左に曲がる高速コーナーで、事故後はシケイン(減速させるためにわざと道を曲げたコース)に変更された。
俺は、タンブレロを立ち上がり、ビルヌーブシケインを通過すると、低速ヘアピンをゆっくりと回り込んでいく。下り坂から複合コーナーを過ぎ、ダブル左カーブに入る。ピット前のシケインから、バックストレートでスピードは上がっていく。
周回を重ね、タイヤが温まってきたころを見計らって、俺はサーキットを攻めてみた。
横G(重力)を体のあちこちに感じながら、ムルシエラーゴを操縦する。バックストレートを時速250キロ以上で引っ張ったあと、タンブレロの少し手前でフルブレーキ。
タンブレロに差し掛かったところで、リアが右サイドに大きく流れた。
「危ない!」
目をつぶった瞬間、奇跡的にカウンターステア(車が滑った方向にステアリングを切ること)を、当てていた。
「びっくりさせるなよ」
アイルトン・セナがこっちを見て、笑っていた。が、目は怒っていた。
俺は、ムルシエラーゴを降り、今起きたことを振り返っていた。
「俺はあの瞬間、間違いなく、死んだと思った」
そう呟いていると、後ろからセナが囁いた。
「俺は、同じタンブレロで命を落とした。あのとき事故を起こしたのは、実はF1マシンにサタンが乗り移ったからなのだ。ステアリングの自由が利かず、俺はなすすべなく激突した。
いま、お前が操縦するムルシエラーゴのリアが、右に滑ったのも、実はサタンの仕業なのだ。奴らは、お前の命を狙っている。レーサーだった血が騒いで、スーパーカーに乗りたがるお前の心を見透かしたように、サタンはその隙を狙って、入り込んでくる。くれぐれも気をつけろよ」
セナの霊が、俺に乗り移って、代わりにカウンターステアを決めてくれていたのだ。
――上記のように、セナが俺を救ってくれたというわけだ。もちろん俺は、常日頃から神の存在を信じている。神の意志(God Will)が俺に働いたのではないかとさえ、今はそう思っている。
旅の途中で恐怖に襲われたとき、俺は四人の天使、ガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエルの名を順に呼び、心を落ち着かせた。これはユダヤ教の神秘の書「カバラ」の知恵を拝借したものであり、俺は常日頃からそれを、実行に移している――
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