消えゆく愛おしいものたち
命から人工物に至るまで、永久なものはない。
みんないつかは無くなるものだ。
地球でさえ永久ではない。
スケールを大きく捉えると、そんなふうに思える。
だからこそ愛おしいのではないだろうか。
私は母を亡くしてから、そんな感覚が特に鋭くなった。
飼っているペットには、寿命があることを知っている。
だからこそ限られた命の時間を、愛でようと思う。
料理は作ったら直ぐに誰かの血肉となり、原型を留めることはない。
だからその形を写真に撮ったり、味を楽しもうと集中する。
人間は、その利益は、作られたあらゆるモノは...
それらも決して永久ではないのだ。
しかし人間は、それに執着し争い、得ようと全力を尽くす。
ふと立ち止まって俯瞰的に見たとき、
それは夢見のようなものであることに気づく。
そしておそらく多くの人がそう思うのは、亡くなる直前なのかもしれない。
死は美しい。
そんな美意識が、日本にはあった。
散りゆく桜や戦いに表象される概念は、
伝統芸能のテーマにもなっている。
それは、本当だと思うのだ。
みんな儚く美しい存在である。
ただそれを、ほとんどの人は気づかないのだ。
私自身、母が亡くなってから、生前気づけなかった「母の存在」に気付いた。
タイムリミットがない存在なんてない。
だからこそ、みんなにもっと感謝を伝えたいと思う。
生きてることは愛おしい。活動も色んな感情も、全てが愛おしい。
何故なら、みんな消えゆくものだから。
これが人生を楽しむコツかな、
と思いながら、日々を美しく消費していく。
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