あなたが囚われている『当たり前』って何?
あなたにとっての「当たり前」は?
「当たり前」とは、私たちが日常生活や社会の中で疑うことなく受け入れていること・やっていることです。
Andyコーチは、ポジティブな当たり前とネガティブな当たり前があると考えています。
まずポジティブな意味での当たり前。
あなたは苦なくできるけれども他の人からすると「すごいね」と言われるようなことってないでしょうか。
習慣化していることであったり、考え方であったり、自分にとっては当たり前すぎて意識すらしていないけれどもできてしまうこと。
これは、ある意味あなたの才能であったり強みの種であると考えています。
こちらのnoteでも触れていますので、ぜひご覧下さい。
一方で、ネガティブな意味での当たり前。
社会や組織の暗黙のルール的に存在していて、無意識のうちにあなたの行動を制限していること。
なぜそうするの?と聞かれたら「ずっとこうしてきたらしいから」「みんなこうだから」と答えざるを得ないこと。
もしかすると行動を制限されていることにすら気が付かないかもしれないレベルで当たり前になっているかもしれません。
(もちろん、何でもやっていいわけではなく倫理面での行動の制限はあってしかるべきと考えています。)
あなたにとってポジティブな意味での当たり前・ネガティブな意味での当たり前、それぞれ何があるでしょうか。
今回はネガティブな意味での当たり前に着目していきたいと思います。
5匹の猿の実験に見る「当たり前」の恐ろしさ
「5匹の猿の実験」ってご存じですか?
下記のような内容になっています。
5匹の猿を1つの檻に入れる。
その中には天井から吊るされたバナナがあるが、バナナに到達しようとするたびに冷水が降りかかる仕掛けがある。猿たちはバナナを取ろうとするが、冷水を浴びるたびにあきらめるようになる。
冷水の罰がなくなるが、猿たちはそれでもバナナに近づこうとしなくなる。
新しい猿を檻に加え、既存の猿がその新しい猿がバナナを取ろうとするのを阻止する
段階的に古い猿を新しい猿に置き換える。
最終的にすべての猿が冷水の経験を持たないにもかかわらず、誰もバナナを取ろうとしなくなる。
この実験の内容を聞くと、ちょっと恐ろしさすら感じませんか。
でもこれは我々にも普段起きていることであると考えています。
「当たり前」を見直す必要性
この実験は、従来の慣習や習慣がどのようにして理論的な根拠を失った後でも維持されるか、つまり「なぜそれがそうなのか」を理解しないまま、集団が行動を続けることの危険性を示しています。
この実験を我々の社会生活に照らし合わせたときに、「当たり前」を見直すことが必要な理由は、社会や環境が絶えず変化しているからですよね。
テクノロジーの進化やグローバル化の進展により、私たちの生活や仕事の仕方は大きく変わっています。
こうした変化に対応するためには、固定された「当たり前」を見直し、新しい視点や方法を取り入れる必要があるのではないでしょうか。
ではどうすれば、当たり前を見直すことができるのか。
それは問いを持つことであるとAndyコーチは考えています。
健全に「問い」を持つ
もちろん、生存していくために学習していく本能があるため、既存の猿の教えは重要なものです。
人間においても同じでしょう。
何かしら物理的・心理的に痛い思いをした経験があるからこその慣習であったはずです。
「こうしちゃだめだよ」
「こうした方がいいよ」
と言われたときに、思考停止で受け入れるのではなく、
「なぜそう言うのだろう」
「どういう背景があるのだろう」
「そうすることによって発生すること(メリット・デメリット)は何だろう」
「デメリットをどう解消できるだろうか」
「この慣習を変えていく方法はないか」
等、問いをもって思考を巡らすことが重要であると考えています。
このように、囚われている当たり前を意識して問いを持ってみることで、行動や成果にもつながっていくのではないかと考えています。
あなたが囚われてる「当たり前」に対してぜひ思考してみてください。