第31回 祖母に学んだ「はたらく」意味
ー PROLOGUE ー
2024年11月マンスリーゲストは、株式会社菓匠Shimizu 代表取締役社長 オーナーパティシエ 清水慎一さん。長野県伊那市上牧地区へ、逢いにいってきました。
伊那市は長野県南部にあり、東には南アルプス、西には中央アルプス、その間を流れる天竜川や三峰川沿いには豊かな平地が広がっています。なかでも上牧地区は、段丘に位置する里山が美しい地区です。そんな伊那市上牧地区にお店を構える菓匠Shimizuに伺いました。
今回も特別インタビュアーとして、鎌倉投信株式会社 代表取締役社長の鎌田恭幸さんにもご一緒いただき、スペシャルな対談をお届けします。
ー INTERVIEW ー
鎌倉投信プレゼンツ「Finding the GOOD」今回のマンスリーゲストは、株式会社菓匠Shimizu 代表取締役社長 オーナーパティシエ 清水慎一さんです。清水さん、よろしくお願いします。
(清水さん:以下、清)はい。宜しくお願い致します。
また、今回もインタビュアーとして、鎌倉投信株式会社 代表取締役社長の鎌田恭幸さんにもご一緒いただきます。鎌田さんも引き続き宜しくお願いします。
(鎌田さん:鎌)宜しくお願いします。
長野県伊那市の上牧地区にやってまいりました。私たちは今、「菓匠Shimizu」にお邪魔しています。素敵なお店です!欧風な店構えと表現してよいでしょうか。
(清)はい、そうですね。フランスで仕事をしていた時に、バカンスでプロバンス地方に行ったことがあるんです。その時に見た電車の車窓からの景色が忘れられなくてですね。一面ひまわり畑で、黄色やオレンジや青の建物が並んでいる。その景色を見て、いつか将来、自分のお店をやることになったら、この景色をつくろうと思いました。
お店を構える長野県伊那市は、清水さんにとってどういったご縁のある土地なのでしょうか。
(清)生まれも育ちも、伊那ですね。
生まれ育った町に自分のお店を構えるということは、念願だったのでしょうか。
(清)いえ、実は念願というわけではないんです。元々、私の祖父母がこのお店をやっていました。昭和22年。当時は和菓子屋さんでした。その後、父と母が継いで、私で3代目です。
そうでしたか。では、こういった欧風の店構えになったのが、清水さんの代になってからなのですね。
(清)そうですね。あちこちでお菓子の勉強をして、帰ってきてからですね。2006年にこの建物ができました。
お店を継ぐ前から、パティシエになろうという思いがあって、海外に行かれていたのですよね。
(清)そうなんですが、実は、できればこの仕事には就きたくありませんでした。とはいえ、長男ですし、幼い頃から父親にはお店を継ぐように言われていたので、逃げられないだろうなとも感じていました。どうせお菓子屋さんをするなら、和菓子よりも洋菓子かな、と。「ケーキの方がかっこいい」と思っただけなんです。
今も「菓匠Shimizu」には、ケーキなどの洋菓子だけでなく、お店のルーツでもある和菓子が並んでいますよね。
(清)そうですね。おかげさまで、父も母もまだまだ元気でいてくれていて、父が和菓子をつくり続けてくれています。
改めてとなりますが、今回お邪魔している「菓匠Shimizu」について、清水さんよりご紹介ください。
(清)はい。昭和22年、祖父母がお店をつくりました。当時は、お餅をついて、餡子を炊いて、そのお餅と餡子を近所に配って歩くところから始めたそうです。その後、父と母がお店を継いで、和菓子も洋菓子も両方やっていました。
お父様の代から洋菓子もつくられていたんですね。清水少年にとって、ケーキなどの洋菓子は身近なお菓子だったのですね。
(清)それが実は、あまりケーキとかお菓子とか好きじゃなかったんですよ。だから、家でケーキを食べるとかほぼ無かったですね。
ある意味、使命感を持って、パティシエの道に一歩踏み出したということですよね。何かきっかけはあったのでしょうか。
(清)昔からずっと野球をやってまして、将来は野球でなんとか生計を立てたいと考えていました。「プロ野球選手が駄目なら高校野球の監督かな」と本気で思ってたくらいです。大学4年生になると、さすがに現実が見えてきて、お店を継ぐという選択肢しか見えなくなりました。もう逃げられないなと覚悟を決めました。せっかくやるなら本気で取り組もう、と。
あと、母親の働く姿を見ていて、母親を助けたい、助けなきゃいけないなと思ったんです。自分が継がなければ、母は働き続けなければならなくなる。誰が母を助けてあげられるんだろうと思った時に、初めて自覚が生まれました。
『菓匠Shimizu』というお名前も特徴的だなと感じました。お菓子の匠。この名前のルーツは。
(清)お店の名前は、祖父の代からこれまでに、何度か変わっています。ただ、私が物心ついた頃には『菓匠しみず』でした。私がお店を継ぐ時、ブランドごと変えてしまおうかとか、格好いい横文字に変えようとか、色々考えたのですが、最終的に、「しみず」という名前は残さなければならない、守りたい、と思ったんです。結果として、ひらがな表記をローマ字表記に変えて、『菓匠Shimizu』となりました。
(鎌)そういった変化の中で、先代との葛藤はありましたか。
(清)葛藤しかないです。でもね、父も母も私も、目指すところは一緒なんです。お菓子で人を喜ばせたい。地域で一番喜びをつくるお菓子屋さんになりたい。その想いは一緒。ただ、やり方が全く違うんですよ。意見の衝突ばかりでした。
(鎌)何がきっかけで、認めてもらえるようになったのでしょう。
(清)いやぁ、まだ認められている自覚なないですけどね。毎日のように喧嘩をして、その間にスタッフが挟まれている一方で、売り上げは上がっていくんですよ。そんな状況がいいとはもちろん思っていないけれど、自分の考えを体現したい思いが強くて、当時の私は意見を変えられなかったんです。そんな状況が3〜4年続いていました。
そんな様子を近くで見ていた祖母に、二人で夕食を食べている時、突然、聞かれたんです。「慎一。お前は何のために働いているのか。毎日楽しいのか。」と。「いやいや、ばあちゃんね、仕事ってのは苦しいもんなんだよ」と答えたら、祖母は私に「つまらん男だな」と言いました。その時、祖母に『はたらく』という文字を漢字で書いてみるように言われて、近くにあったチラシの裏に、にんべんに動く(働く)と書いたんです。今でもこのメモを大事に持っているんですけどね。祖母は、マジックで大きくバッテンを書いて、鼻で笑いながら、また言うんです。「お前は本当につまらん男だな」と。
『傍楽』
祖母は「傍(はた)を楽(らく)にする」と書いて、こう教えてくれました。「はたらくということは、周りの人を楽にしてあげること。一番近くにいる両親を楽にしてあげること、社員を楽にしてあげることが、お前の役割なんだよ。」と。悔しかったけど、そうでありたいと思いました。自分が一番それをやりたいのに、意地を張ってしまっていて、できていないのかもしれないと気付かされました。
(鎌)その一言が転機になったのですね。
(清)そうですね。もちろんその一言でガラッと変わったということはなかったですが、考え方を変える大きなきっかけになりましたね。
(「第32回 菓子創りは夢創り」 に続く)
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