学んだことが役立つかどうかは、自分が役立てれる能力があるかと同じ?

素直に興味があるから、やってみた。
どんなものが必要なのか調べて、
揃えられそうだから買ってみた。
それだけだと感じている。

行動力とコミュ力が化け物レベルと
しばしば言われる私なのですが
もちろん、そんな自覚はない。

もちろん、その事柄が楽しそうに思えて
実際に楽しくなければ続ける意味もないし
楽しくなる先を見据えて学ばない限り、
何にも挑戦できないだろう。

教育というのはしばしば、
個人の好む好まざる関係なく、
一方通行的にでも詰め込む必要がある。

憲法上、教育は
「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」
を目的として行われ、
この実現に必要な要素を取り組んでいる。

この目的を踏まえて学習指導要綱などを見ていると
理にかなったカリキュラムが揃っていると感じるのだが
これは教育を受ける当の本人にはわかるはずがないだろう。

大の大人ですら、人格に問題がある面が少なからずあるし
人格の完成に必要な要素については、
一朝一夕で結論づけられるはずがない。

これが義務教育であれば、教育を受ける本人の
好みなど問わずに、教える必要はある。
厳密にいえば、義務教育を受けさせる義務は
親や後見人が課せられる義務であるため
なおさらに教育を受ける本人の
好みなど問わずに、教える必要はある。
問題は義務教育の先にある、高等教育である。

高校入学以降に学ぶ内容を高等教育と呼ぶのだが
この高等教育は、義務ではないため
学生本人に事実上の選択肢がある。

本人が授業を受けなければ単位認定されず
進級または卒業ができない。
もっと悪い状況だと退学すらあり得てしまう。

ここまでは少し考えればわかることであるが
この教育に意味があるのか
各々で考えてみてほしい。

高校の範囲内であれば
微分積分や三角関数は今後何に使うのか。
世界史や日本史を覚えたところで…
なんて耳にタコができるくらい聞いてきた。

正直言えば、お勉強的に「頭がよい」と言われる人は
自分の好みに関係なく、覚えれば
点数が稼げていい大学に行ける。
学問的な意味合いは全くない。
大学院への進学率の低さから見ても
覚えているだけで、活用する気はなさそうである。

頭のいい人ですら、高等教育に意味を見いだせていないのだから
それ以外の人は言うまでもない。

正直、私はみんながかわいそうだと思ってる。
学んだことが実利として活かせず、
学ぶ楽しさすらわからないまま大人になり
仕事以外で学ぶ機会を得なくなる。

「大人になったら勉強なんてしなくていい」って言い出したやつ
ほんまにでてこい。
きっとたいそうな教育を受けてきて
これ以上学ぶことがない、
生きる図書館みたいな人なんでしょうね。

なんてね、頭の悪い大人のことは置いといて。

これからも学習を続ける、または教育を受ける人に伝えたい。
学ぶ意味や理由をとにかく見つけなさい。
義務教育を終えたら、それを持たない限り
時間の無駄になる。
学ぶ意味や理由を見つけられたジャンルから
学んだ内容のすべてがつながってくる。

今日12歳の女の子に福沢諭吉の「学問のすすめ」を与えたのだが
学びを実利に結び付け、不平等の底辺から離れていってほしいと
切に願っている。

これは王道の学問に限らず、
美容や服飾、調理などの専門学校の分野においても同じである。

自ら選んだ進路の中で
有識者が必要だと感じていることが
カリキュラムに含まれている。

有識者よりも知識が乏しい、または何も知らない君が
判断できるようなことではないんだよ。

学ぶ君の周りにいる一般的な大人は
わかった気になっているだけの、
ただただ老いていっているだけの人だらけだ。
そんな薄学な人にだまされてはいけない。
これは先生に対しても言えることである。
先生もその分野の中では浅いかもしれない。
もしくは意味もなく覚えているだけの人かもしれない。

自ら学んだ先にある楽しみを探し、
学びも人生も楽しんだもん勝ちだ。

今私は仕事が楽しい。
学ぶ必要を感じること以外でも
おもしろさを感じたら貪欲に取り入れていく。
まったく何にもつながらないものは
意外にも少ない。むしろないかもしれない。

なんてね。
長い人生の中では、
まだ若い方と言われる年齢のボンクラが申し上げます。

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