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映画『夜を走る』、救いようのないフラクタル。

これだけの衝撃作に2022年に出会えるとは思っていなかった。予想を遥かに上回る展開はまさに想定外。これは裏切りだ。もちろんいい意味で。

『教誨師』では死に向き合う死刑囚たちを描いた佐向大監督だが、本作では鉄くず工場で働く男たちに焦点を当てた。仕事終わりに居酒屋で上司の悪口を言い、フィリピンパブで虚勢を張る姿は一見どこにでもある光景だ。

しかし、ある地方都市の鉄くず工場から始まるこの物語を圧倒的に支配しているのは主人公のひとり、谷口の言う「もうとっくに終わっている」世界を生きなければならない絶望感や、何も期待できない地獄のような日常だ。谷口と秋本、その家族、同僚、上司、新興宗教と思われるライフデザイン研究所の信者たち。登場人物は皆、苛立ちや閉塞感を抱え、空虚な日常を生きているように見える。

ある者は飲み歩き、不倫をし、ある者はパワハラをしてそれをやり過ごす。また研究所の信者のように他人を否定することでしか自分を認められない者もいる。程度こそあれ彼らは即物的に自分の外側に答えを見出し、日常のつじつま合わせをしているに過ぎない。

もしかしたらこれはある地方都市の鉄くず工場に限った話ではなく、日本社会が内包するフラクタル構造ではなかろうか?そう思わせるほどの生々しくリアルな日常を俳優陣、佐向監督は見事に作り上げている。その延長線上には死体を見てもそれをどう隠蔽するかにしか想像力が及ばない、罪の意識や想像力が欠落した世界がすぐそこに待っている。そこではもはや死体はただの肉片となり、何も語ることはない。

そして何よりも映画を転調させひとり変態を遂げたてしまった足立智充演じる秋本は異質と言えよう。拳銃を片手に女装して踊る姿は、正解のないこの世界で見出した彼の答えと解釈すべきか。鉄くず工場の暗闇に光る閃光のように美しくもあり不気味であるその輝きは、救いようのないフラクタルを逸脱した光のようでもある。しかし秋本は救世主でも正義でもなんでもなく、むしろ銃刀法違反の犯罪者だ。仮に彼が抑圧された者たちの代弁者だとしたら、この世界は本当にもう終わっているのかも知れない。

「がんばれ、ハッピー!」なんて言葉が、この世界にはいかに無力なものなのか。強烈なユーモアとともに佐向監督は私たちに教えてくれる。


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