見出し画像

私の生まれた日は30年前から阪神淡路大震災の前の日になった

1月16日、昨日は私の62回目の誕生日だった。

まだ、1月15日が『成人の日』の祝日だった頃は
私の誕生日はいつ?と聞かれたら
『成人の日』の次の日、
とこたえていた。

それが阪神淡路大震災が起こった30年前からは
私の誕生日はあの神戸の未曾有の大震災の前の日になってしまった。


だから、震災関連のニュースが増えるこの季節になると
いつの間にか
私は自分の誕生日を祝うのが悪いような、罪悪感のようなものを覚えるようになっていた。

実は震災当日、私は私の誕生日を大阪の私の実家で家族と過ごすために神戸を離れていたのだった。

4年前に投稿した記事の一部です。

https://note.com/filmlover/n/n6e1bbadda604

1995年1月17日、阪神淡路大震災は起こった。
神戸に住んでいた私たちは
たまたま30年前の1月16日
私の誕生日の日に夫と娘と泊まりがけで大阪の実家に戻っていた。

私の誕生日会も楽しく終わり、何も知らずに眠りについた私たち・・・
翌日の朝方、酷い揺れで飛び起きた。
まさに飛び起きるという感じだった。
大阪でも震度4はあったらしい。
実家は古い木造だったので 震度4以上の体感だったけれども・・・ 
どこが震源地なんやろ?
和歌山あたりかな?
まさか、自宅のある神戸だとは頭の隅にも浮かばなかった。
呑気な私たちは実家の二階で余震が収まると再び眠りについた。
少しして、1階から母が叫んでいる。
『神戸が大変やで!』
急いで下に降りてテレビを見ると、
神戸が地震でめちゃくちゃになっている映像が次々と映し出されていた。

一瞬何が起こっているのか
理解できないまま、夫と私はただテレビを見つめていた。
神戸には夫の父や兄弟の家族も住んでいる。
映し出された火事の現場はまさに夫の兄の住んでいる辺りだった。
そのころはスマホはなく、携帯で電話をしたが電波も乱れて通じなくて
結局、その日の夕方にやっと神戸の義父と義兄家族の無事が確認できたのだった。 

義父の家は全壊

義兄の家は全焼

夫の家族は小学校の避難所にいるとのことだった。

幸運なことに神戸でも私たちの家は特に大きな被害もなかった。

そのまましばらく私と幼い長女(1歳半)は大阪の実家に身を寄せ
被災した夫の家族は落ち着くまで神戸の我が家に来てもらった。
そして夫は神戸の自宅と私の実家の大阪を何ヶ月も行き来していた・・・

あの震災で命が助かった義父と義姉も今では亡くなってしまった。

震災のダメージは経済的にも肉体的にも精神的にも相当なものだったから

もし、震災がなければ二人とももっと長生きできていたのかもしれない・・・

30年経ってもそのころの様々な感情は忘れられない。



昨日1月16日、私は夫と二人でささやかなお誕生日のお祝いをした。

夫に『お誕生日おめでとう』とお祝いの言葉をかけてもらって

そのあと夫が私の実家の方角に向かって

『お義母さん〇〇を産んでくれてありがとうございます』と言ってくれたのを聞いた時
『あぁ、私が今日も元気で
こうして生きていることは
決して当たり前ではなくて
奇跡のようなものなんだ』と感謝の気持ちでいっぱいになった。


これから何度私は誕生日を迎えることができるのかわからないけれど
その度に私は胸を張って云おうと思う。


『私の生まれた日は阪神淡路大震災の前の日

そして、その日は私が命の有り難さを再確認する大切な日だ』と




ここまで私の話を読んでくださり感謝しています。

今日の神戸は雲もありましたが、とても晴れた穏やかな日でした。

私は神戸が大好きです。

そして、神戸というとても素晴らしい街に住んでいることを私は誇りに思っています。

今年も皆さまに幸多い1年でありますようにお祈りしています。

いつも応援ありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。



いいなと思ったら応援しよう!

candy @ (ミルク)
読んでくださりありがとうございます💖 それだけでとても嬉しいです!