空気を読むを、遠ざけなくていいと思う
買い物に出かけたら、よくいく食堂のおばちゃんに会って少し立ち話。
「今神戸に住んでるやったかね?」と切り出されて、その時のおばちゃんの表情がそのまま続きそうな感じがしたので答えず待ってみた。
「やっぱりスーパーにお米売ってないの?娘夫婦がそう言うてね、うち(おばちゃんのこと)は米屋さんから買ってるから知らんのやけど、都会は米ないんかね?」
今僕が神戸に住んでいたとしても、おそらくわからない話題。スーパーで米のコーナーを見たことがないから。
知らなかったんだけど、今プチ米騒動らしいですね。知らなかったので、いやぁ、わからん。と答えた。そのあと、その米にまつわる話を少し繰り返して、にこやかに別れた。
で、僕は神戸から引っ越したんです。とは言わなかった。正確には西宮だし、今拠点があるのは高松。
意図的に隠す理由もないし、騙すつもりもない。でも、別に言っても言わなくても良いと思ったから何も言わなかった。
それは、おばちゃんが醸し出す空気感が、その神戸にちなんだ続きの話をしたいと言う感じだったから。
おばちゃんにとっては、僕の正確な情報は特に必要ない。おばちゃんにとっては、僕は娘が住む神戸の様子をいくばくか知っているかも知れないという対象だったんだと思う。
話終わったあと、なんとなく良い時間だったなと思った。
おばちゃんは、僕が神戸(正確には西宮だけど)に住んでいると思ったから、僕に共通の話題になりそうな娘の困りごとを会話に選んだ。僕は、ただそれを受け取って何度かのキャッチボールをした。それだけ。
僕も、おばちゃんもこの2人の会話の中に空気を読んだんだと思う。大袈裟だけど、そこでしかない空気、人間の少しずつの滲みのようなものだと思う。
その2時間前。
手伝ってるお店のお客さんが店内が熱くて(デカい石窯あるから仕方ないんだけど)僕にこう言ってきた。
「熱いんで(エアコン)下げて」
言い方、表情、言葉の捨て方。全てに自分が困っていて、その状況をありえないと思っていて、それを言うことは当然で、言うこと聞かせるために言葉を発していた。
僕は、「これがいっぱい。窯があるからね。」と伝えながら、あからさまに表情は柔らかくしながら、おまえ何様や?という心境も包み隠さず、圧を出して回答した。
彼のことは知らないが、おそらくいろんなものの捉え方、感じ方がそんな感じなのだろう。同じことを伝えるにしても、彼が言うのと他の人が言うのとは相手の受け取りは違うはず。で、こういうことは身近な人は言ってくれない。なんとなく、空気を読まずに自分は自分。それを承認してもらうという感覚がもてはやされている気がしないでもないし。
これまでも少し暑いからとお願いされることはあったし、その都度こんな威圧的な対応はしない。人間同士、少しずつ思いやって会話してきたけど、こういう、人との間に滲む何かを連想しない、いわゆるシステム病の人には僕らもシステムで返すことにしている。そういう人を大切にしないというシステムで。
それが空気を読まないせかいなんだろう。
全てにそうする必要もないだろうし、いつもできるものではないと思うけど、空気を読むという言葉をへりくだって気を使うという風に訳さずに、言いたいことを言えないという風に理解せずに、その間にあるせかいを感じることとして理解すると、空気を読むということを、遠ざけなくてもいいんじゃないかな。と思いました。
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