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帰ってきたたのしい観察


9月5日カメラが届いたので、まもなくひと月というところです。

カメラをぶら下げて近くに出かけては、試行錯誤と機能の使い道を手探りする毎日。

映像、撮影の世界というのは、元々専門技術の世界。機能や機材に多くの「知っている前提」に溢れています。ホワイトバランスやF値、焦点距離にISO感度などはなんとなく聞いたことがあるので多少調べ方などもわかるのですが、色のこと、カットのこと、映り方のことになるとさっぱりわからない言葉から紐解く場面がしきり。とにかくそういうものを言葉としてひとまず知り、実機で撮って確認して、その使い道に触れていきます。とても情報的ではあるのですが、これはこれでとても楽しい時間。なんせ必ず昨日より今日の方が「知っている」のですから。わかりやすく進んでいる実感があります。もちろん果てしなさは押し寄せてくるのですが。ほんの少しブレも少なくなり、ピントとは何かを少しだけわかるようになったり。これを書いた1週間前よりも進んでいるわけです。


そのような技術や知識、いわゆる情報で成り立つ世界とはまた別のもっと本質的な愉しみを味わっています。表現につながる愉しみです。そのはじまりが僕にとっては観察です。

小さなころ、ぼくの1日はいきものばかりでした。草むら、公園、植木鉢の下、虫かごに水槽。川や山、街灯の下…。いろんな場所で、いろんないきものを見つけてはずっと眺めてました。知りたいという気持ちと、不思議がもたらす好奇心が、ぼくの中を満たしていきます。そしてそれが溢れ出して、いきもののそれと対話がはじまります。対象を発見して、観察する。その中からたくさんの見えてくるものがありました。

ああ、あのころのあの感じだ。帰ってきた!

カメラのモニターを眺めていると、小さなころのあの世界を感じました。カメラを持ったことが、観察の愉しみをもう一度僕に蘇らせてくれたような気がします。今なら虫や魚だけじゃなくて、止まっている車や、人の往来、風の音、なんだって対話できそうな気がする。少しずつ腕を磨いて、この感じが満ち溢れてきたら僕が見たいものが作れるかもしれない。そんな気持ちになった1週間でした。

明日は釣りに、金砂湖へ行ってきます。

そう、この写真。器に空が見える気がしたんで上げておきます。

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