カフカの『変身』
目が覚めたら、いきなり自分が毒虫になっている、という話。主人公のザムザは、その衝撃の事実よりもただひたすら、会社に遅刻の連絡を入れなくては、、、でも起き上がれない、、、といった、傍目にはちょっとズレた心配をする。(まずは自分が毒虫になっている怪異に、パニックになって欲しい笑)
それでも僕は、同じ状況になった時、同じような反応を示すんじゃないか、という気がする。僕もまた、時々「毒虫」になる。ある朝、目が覚めると、「あ、これはあかんやつ」という状態になる。六本の細長い足が、頼りなく空を掻いている。身を起こそうと力を踏ん張ってみても、腹部の節が目に入るだけ。寝返りをうとうと身をひねるうちに、脇腹のあたりが変な痛み方をする。
数日前にそういう朝を迎えたわけだけれど、今回はやたらと早く回復することができた。やはり、天界から蜘蛛の糸をたらしてくださった方がいたからだと思う。ありがとうございます。
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前回、毒虫の朝を迎えたのは去年の7月下旬。noteに記録が残っている。やっぱり、こういう朝は、定期的に、なんの前触れもなくやってくる。これは僕の心のおかしな性質なのだけれど、僕は大抵の物事に対して、「その場で」感情が動くことがない。おだてられても、けなされても、心はずっと明鏡止水。(なので、僕は感情のない人間だと思われがち。いや、ちゃんとあります。遅れてくるだけ。)
そのまま感情から逃げ切れたらいいのだけれど、それらが急に、まとまって、ある朝、ドーンと届けられて、、、およそ年に2,3回くらい毒虫になる。
これは、ある意味では便利な性質だと思う。多くの人は、頑張らないと自分の感情を抑え込めない。「あぁ、腹が立つけれど、ここのところはグッと堪えて、、、」というふうに。
僕はそういう時、その場では腹が立たない。感情を押さえ込もうと努める必要が、ほとんどない。それでも、後になってから腹が立ったり、悲しくなったりする。これは負の感情だけではなく、正の感情——喜び——なんかに対しても起こる。僕がその場その場で何かを楽しんでいるように振る舞っている時、それはたいてい演技だ。そうしないと、周囲に対して申し訳ないし、愛想を尽かされてしまう。
そんなわけで、僕は後々、一人でこっそりと思い出を反芻して喜びを味わう。(だから、こうして文章を書かずにはいられないんだろうな〜)