残喘の喞ち言《ざんぜんのかこちごと》

 山にうすづく、斜陽をうれう。
 何故こうも哀しくなるのでしょう。

 死に花を咲かす人生をと、そう思って今まで生きてきたのだが、見事に咲かせるたまも無く、慚愧ざんきがこの身を喰らうては、ただ蠢爾しゅんじたる芋虫の如く、終日ひねもすと、ふすまを被って生きている。
 そろそろ文反故ふみほうごをどうにかしなければならないと思いつつ、間がな隙がな心の奥処おくかにあるあくた惑溺わくできして、ただ時間を駄目にして過ごしていた。
 瘠軀せきく貧窶ひんるにして不如意ふにょい。全くの懶惰らんだ! 全くの落魄らくはく! 鼠輩そはいとは我のことか知らん。嗚呼、流転るてんはまだかしらと歔欷きょきをして天佑てんゆうを待つ。歩けば蹌踉そうろうとして千辛万苦せんしんばんくの道を行く。嗚呼、我が人生は全くの不興ふきょう! 余喘よぜんを保つその身には何が残っていくのか。
 揺蕩たゆたう意識、もとい忸怩じくじの中で曼珠沙華まんじゅしゃげさんとして佇んでいる。それらが突としてほむらに身を包み果てには灰燼かいじんと化す。灰土かいどの中からまた曼珠沙華がちろりと芽を出し花を咲かせた。我が死花しにばなは我が心にあり。我が歿ぼつするとき、知死期ちしごには、心の不吉なくれないの花も歿するのだろう。憂悶ゆうもんの人生はまだ続く。
 畏友いゆうの遺した本を読むので、この話はお終いにする。

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