フェミニスト神学なアドベントカレンダー
この1年、大変お世話になりました。メンバーシップ登録で読者となってくださっている皆さんには心から感謝です。一方で、時々には公開設定でお読みいただければと思っています。
クリスマス前ぐらいにしかこの箇所が読まれるタイミングがないかもしれないのですが、初めて聖書を手にした人が「イエス様の生涯を知りたい」と思って福音書開けるといきなりこのハードル。これではもう完全に「あなたは本当にこの書物を読む気があるのか」と尋問されている気持ちになりますね。
この14代の14という数字がヘブライ語では「dwd」でダビデとなるとか、この中に女性が入っているとかで取り上げられることが多い箇所です。それにいきなり系図かよ〜。旧約を専攻していた人としてはここで張り切って「系図の意味」なんかをぶちまけたくなるのですが、ざっくり言えばこの系図を読んでいくととにかく「男」って奴らはとんでもねえというのだけが目に止まります。ユダはタマルによって〜これ、ユダってのはずっとこのタマルを騙くらかしていた親父です。ボアズってのはルツという夫を亡くした女性を「引き取る」地主ですが、ものの見方によっては自分が気に入った女性に取り入っていくおっさんです。ソロモンの母になるウリヤの妻というのはバテシバという名前が知られているのですが、この系図では彼女は言及されてない!どうして?それはダビデがお風呂中のバテシバに発情して夫が戦地に送られている間に彼女を強姦するのですから。その後はバテシバの夫である部下に当たるウリヤをダビデはわざわざ戦死しそうなところへ配置。もうサスペンスすぎるのです。
なんだかこうなってくるとこの系図はまるで私たちにあなた方の「歴史」というのもこうやって女性たちが弄ばれたことを刻んではいないかい?と尋ねているようですね。さて、マタイがとにかく一貫して男目線で「インマヌエル」を描くのはどうしてなのでしょう?
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