自己実現を目指さないと虚しくなる
「クロモジさんを採用したいと考えております」
フリーターになる気まんまんで生活シュミレーションをしていた私にとって、これほど衝撃的な出来事はない
指導教官からは「頑張って地域を盛り上げてください」と激励メールをもらい、家族からは「一生頑張られると思うわ」とめちゃくちゃ感激された
おそらく、喜ばしいことなんだろう
打率も25%と悪くはない
念願の地に行けるがモヤモヤするのはなぜ?
ずっと行きたかった地域にあり、業界も希望していた通りだし、業務内容も私の適正に合っていると思われる
だが、なぜか釈然としない
うまくいきすぎているというのはもちろんだが、「本当に自分はここに収まるのか?」という疑問しかない
原因①:中より現場がよかった?
おそらく、自分の適正が見破られてしまったから
自分の適性には合ってないけど挑戦してみたかったプロジェクトには落ちたから
私は、散々やってきたオブザーバーという立ち位置ではなく、プレイヤーをやってみたかったのだ
向いてないって自覚してたけど、心の奥底では諦めきれずにいたのかもしれない
原因②:憧れと適性のギャップ?
理想と現実の関係のように、憧れと適性は必ずしも一致しない
それぞれに与えられたものを活かしていくしかない
それが現実で、昔から散々言われてきたことだ
そして、興味があることを自分の適性にあったポジティブでやることが苦しまずに済むことであることもわかる
でも、それも違う気がする
あまりにもハードルが高すぎるのも考えものだけど、適度な負荷が必要なんだよな…
要因③:自己実現の対象がないと虚しくなる?
モヤモヤしつつも修論を書き、気まぐれに読書をしている中で、すごい納得のいくフレーズを見つけた
まさに、私が感じているモヤモヤは「虚しさ」だったし、私が欲しているものは「できるようになってる感」だからだ
採用された組織に行っても成長できる可能性はある
だが、私の直感は、不安を感じるがチャレンジングな別のプロジェクトに「できるようになる感」を見出していたのだと思う
おわりに:この先の自己実現に向けて
とは言え、早朝から夜まで夢中になってやれるよう対象がないのが現実だ
教授に、"研究室の主"認定されかけた数年前の自分が懐かしいし、羨ましい
あの頃は、苦手ながらも、実験や文献読みができるようになっていくのが楽しく、満たされていた
迷いなく、日々、卒論レベルだけど朝から晩まで研究に取り組んでいた
すぐに、同じような熱を持てるような対象に出会えるかはわからない
けれど、とりあえず1年間は会社で業界の技術を吸収しつつ、趣味レベルでもいいから、少しずつ熱を持てる何かに出会えるように生きていきたいと思う
「ずっと自己実現目指さなくても、1年ぐらいのんびり過ごしてもいいよ」と自分に言い聞かせながら
では、また