
【雑記】社会に適応するってそんなに大事ですか?
適応障害、社会不適合者
人が職場や学校に適応できなかった時、マイナスな意味で使われる言葉だ
今まで、疑いもなく使われてきたが、何をもって「適応」なのだろうか?
そして、適応できないと冷たい目を向けられるのはなぜなのだろうか?
人それぞれのペースを揃えるのって難しい
私が思うに、「適応」とは「その場に合わせるために、自分に仮面をかぶせること」だ
各々が、動きを合わせることで、一定の生産性・秩序が保たれてきたことは認める
だが、1人1人、見た目や得意/不得意、生きるテンポは違う
なのに、全員を揃えるのって、あまりにも無謀だよなと思う
例えば、読み書きの習得が遅い子どもが、他の子どもと同じ教室で同じ速度で授業を受ければ、その子どもは「不出来な子」とされる
対して、その子に合わせた速度・やり方で授業をすれば、「読み書きが不得意」というのは目立ちにくくなる
そうやって、「できない」と決めつけるのではなく、できる環境を整えることで、その人は発揮されるんじゃないか?
高齢者・認知症の方の例になるが、『みんなの社会的処方』(西智弘編著)には、職人も驚きのかっこいいまな板をつくるばあちゃん達が出てくる
要介護状態でも認知症でも何もできなくなったわけではなく
環境を整えればできることがある
今は、職場でも学校でも、同じ速度・方法で、1人の人間にあらゆるコトを要求する
結果的に、「落伍者」「障がい者」が生じているんじゃないか?
「落ちこぼれ」「障がい者」がいるのではなく、社会自体に障壁がある気がしている
社会的な弱者ばかりが適応を迫られる社会
日常生活はもちろんだが、一見良さそうに見える「支援」にも、社会に存在する障壁があるように思う
まず、社会の「普通」に慣れてもらおうという下心がある
就労支援・体験は人によっては効くが、いまはひきこもり・障がい者ばかりが社会に適応することを要求されている
ちなみに、教育分野だと、適応指導教室、行政と連携して単位認定を行っているフリースクールがある
「支援」と言いつつ、本人の特性を生かすものではなく、「フルタイムで職場・学校に行ける」ことを目的としている
別に否定するわけではないけれど、フルで働けなくても、学校という空間が苦手でも、特定の活動・勉強が苦手でも、生きてる人は全然いるし、もっと色んな生き方を認めた方が、ロールモデルが増えて皆が楽になるんじゃないかなと思う
もう1つ、今の「支援」は「持てる者から、持たざる者」という上下関係が生じる上に、何もかもしてあげることで本人の自発性を奪っている可能性がある
「支援する」というと、まず真っ先に「力のある強者が、力の無い弱者に対して何かを施す」イメージを持ちがちであるが、それは支援の一部に過ぎない
緊急事態の時期を脱して、1人で立てるようになった方に対しても「施す」型の支援を継続し続けることは、その方の生きる力を奪い続けることになりかねない
行きつけのカレー屋のお兄さん曰く、「日本は過保護すぎる。ネパールでは障がいある人も一緒に働く。」のだそうだ
私たちは、効率や利便性を求めるあまり、わかりにくい・やりにくい存在を追い出しすぎているんじゃないだろうか?
そして、結果的に、「使えるやつ」/「使えないやつ」という基準が蔓延し、生きづらい社会になっているんじゃないかと思う
置かれた場所で咲けない時はどうしてもある
魚だって水がない場所で泳げないのだから、人間も合わない環境では生きづらいに決まっている
また、「競争」は少なからず避けられないけれど、将来のために受験勉強に明け暮れ、将来の不安をあおられて会社にしがみつき、「生き残る」ためにリスキリング・資格取得して、私たちはあまりにも息つく間もなく過ごしている
そして、いつも報われるわけではなく、むしろ大半が報われない
人間関係で疲弊するし、最終的に心身を病んでしまうこともある
そうやって、今いる環境がどうしても合わないことだってあるのに、一度レールから外れると復活は許されず、「自己責任」の下に努力・能力不足とされる
でも、環境は1つだけではなく、むしろ邪道を行った方が生きやすくなる時だってある
ぼくは「生き残る」より、むしろどう「おりる」かの方が重要だと思う
競争の世界から見ると「負けて死んだ」ように見える人たちが、じつはちゃんと生き延びていて、それどころか自分なりの生き方を見出している
大事なのは、自分のペースや持ち味を殺さずに生かせる環境にいること
もしくは、前述したように、その人が生かされる環境づくりをしていくことであり、強制することではない
自分や周囲の人間が殺されているのなら、すぐにでも逃げるのがいい
おわりに:適応するのでなく自分のペースで生きる
変化が激しく、成長を絶えず求められ、行き過ぎた競争がしみ込んだ社会
たぶん、適応しようとすれば潰れるだろうし、実際自分・知り合い数人がやられている
これ以上、足元をすくわれたり、すり減らされたりしないように、自分のペースで生きませんか?
では、また
ー参考書籍ー
↓ 1冊目の『社会的処方孤立という病を地域のつながりで治す方法』と合わせて読むのがオススメです
↓ 「おりる」という言葉から『減速して生きる ダウンシフターズ』(髙坂勝著)を想像しましたが、「生きづらさ」に焦点を当てている点で違っているし、飯田さん自身が「生きづらい」当事者であり、鋭い生の声が聴けます