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【ヒーローは1人ではない】『僕のヒーローアカデミア』に見る他人任せな社会

「俺らは客で舞台の演者はヒーローだと思ってた。でも舞台は剥がされた」
「平和の象徴の想いは聖火のごとく僅かな者に託されている」

アニメ『僕のヒーローアカデミア Seson6』(以降、ヒロアカ)中のセリフだ

しばらく見ていなかったので、ヒーローの世界がこんなに荒れているとは思わなかったが、どこかで見たような気がした

まるで今の社会のようだった

「政治が政治家のもの」とされ、「大丈夫か?」という制度が通っても声を上げないどころか、投票率は低い
2022年の衆議院選挙では55.93 %、2023年の参議院選挙では52.05 %で、それぞれ1958年と1980年から20 %以上下がっている

諸外国と比べると、主要国の平均が70 %台に対して日本は52 %と低く、若年層(18-24歳)に至っては31.2 %とかなり低い
主要国の中では下から数えた方が早い
(2016年時点)

批判はするけど一部だろうし、批判どころか政治の話をすると「へー、そうなの?」とか変な目を向けられたりする
ちょうど、ヒロアカの番外編『ヴィジランテ』に出てくる灰廻航一のように
自分たちの手で自分たちの街を守ろうとしているだけなのに

作者の意図とはズレるかもしれないが、少なくとも今の社会に生きづらさを感じる私には「自分たちの住む世界を他人任せにするな」と言っているように思える話だった

ヒロアカの敵キャラ・死柄木は、幼少時、街の人々に助けを求めたが
「ヒーローが来てくれるからね」と、手を差し伸べられなかった

ヒーローに全責任を押しつけている姿は、私たちと重ならないだろうか?
「"名もなき誰か"がなんとかしてくれる」と思い込んではいないだろうか?
結果として、社会的弱者とされる誰かにシワ寄せがいっているのではないだろうか?

ヒロアカでは、シワ寄せの結果がヴィラン(敵という意味)・死柄木を生んだ

私たちの社会でも、生きづらい人々が「死柄木」にならないように、お互いに手を差し伸べるところから始める時なんじゃないかと思った視聴後だった



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