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【雑記】どうして私は「書くこと」に執着するのか?
毎日の日記、修論、note、時に何かのweb媒体、SNS
毎日、何かしら書いている
誰かに認められたいからかもしれないが、他人にはめったに見せることのない日記を毎日続けているところを見ると、どうも違うらしい
研究を続けているのも、研究対象への愛着や研究者志望だからではない
「書くこと」が生じるからだ
どうして、私は「書くこと」にこだわってしまうのだろうか?
理由1:楽しみや好奇心、生きる勇気をくれた
①上橋菜穂子『獣の奏者』
小学生の頃から、あまり友達がいなかった
理由はわからないが、話したくても話の輪に入れず、かといって得意なこともなかったから、グループに入り損ねて気づけば1人でいることが多かった
休み時間や放課後、休日までも読書に費やしていた
その頃、出会ったのが『獣の奏者』(上橋菜穂子著)というファンタジー小説で、その世界観と主人公の生きざまに引き込まれた
「こんな物語を考えられるなんてすごい」
読み始めると止まらなかった
クラスでぼっちでも全然気にならないぐらい面白かった
これが、私が「書くこと」に憧れを持つようになったきっかけだ
その後、部活になじめず辛かった中学生生活も、「本の虫」になることによりやり過ごすことができた
②藤井一至『大地の五億年』
高校生活は比較的穏やかだったが、受験期~浪人期は精神が崩壊して、周囲に多大な迷惑をかけてしまった
そんな時も、様々なジャンルの本で心を落ち着かせることができた
中でも、『大地の五億年』(藤井一至著)という本がとびきり面白かった
読了前は、土壌や森林のことなんて考えたことがなかったのに、気づけば土壌の中で養分がイオンで動く仕組みや、目に見えない小さな生き物たちが植物が栄養を得るのに関わっていることに惹かれていた
おそらく、本書がなければ農学・緑の世界に足を踏み入れることはなかったと思う
③高島鈴『布団の中から蜂起せよ』
大学はとても楽しかった
念願の土壌学、微生物学はもちろん、心理学など学びたいこと、サークル、研究活動
全て上手くいっていたわけでもないけど、「よく学び、よく遊べ」をやりまくったと思う
でも、「就職」という難問が待ち受けていた
バイトですら続かず、5日間のインターンでは3日目の朝から泣いていた
加えて、内向型かつHSPという世間の中では生きづらい少数派の人間であることがわかって、この先生きていくことに絶望していた
そんな時に「生きているだけで生きづらい社会への抵抗になるよ」と言ってくれたのが、『布団の中から蜂起せよ』という本だった
自身もうつを抱えながら、彼女は書いていた
私と2~4歳ぐらいしか違わない人間がもがきながら書いている姿、それも社会への抵抗を示すためにペンを執る姿に勇気をもらった
「そんな彼女に「死なないでほしい」と言われたら、生きるしかない」
今もしんどくなったら、読み返す「読み薬」のような存在だ
理由2:推しが文筆家だらけ
ここまでで、1000字
最低限1000字は書けるぐらい、私は好奇心や知識、勇気を与えてくれる文章を愛しているらしい
そして、そんな文章を書ける彼らに憧れを持ち、少しでも近づきたいと思うようになった
だから、小学生の頃からブログという媒体に触れ、日記を書き、大学から大学院まで研究を続けているのだと思う
理由3: 「書くこと」だけが唯一続いている表現方法
「そんなに立派な文章が書けるのか?」と聞く人がいるかもしれない
「他にも、音楽やスポーツ、アートでも元気を与えられるのでは?」と問う人もいるかもしれない
だが、私は音楽もスポーツも、アートもからっきしダメだし、あまりやりたいと思わないのだ
だからといって、「書くこと」が飛びぬけてできるわけでもない
でも、スキなのである
下手だろうが、たまに書くのをやめそうになろうが
やっぱり、ノートとペン、そしてnoteのような各場所は手放せない
泣きながら、苦しみながら、絞り出してでも書きたい
そして、実際に何度もそうしてきた
正直、ノウハウや役に立つ文章よりも、自分語りが多いかもしれない
かつて、そのことを指摘した友人は正しい
だが、誰かの生きた轍が、生き様が、誰かの背中を押すことを私は知っている
現に、私は、亡き父の後悔、自分で選べなかった母、友人の生い立ち、苦しみながらも立ち向かっている先人に背中を押されて、生き方、研究テーマ、信条を決めてきた
だから、私は死ぬまで「書くこと」にしがみつき、言葉で表現し続けたい
さいごに: 「書くこと」で抵抗しつづけたい
では、私は「書くこと」を通じて何をしたいのか?
それは、前述した高島鈴氏と(私が身勝手に)約束した、”抵抗”することである
生きづらさの内的要因(思い込み、パーソナリティ…)、外的要因(社会環境、自然環境…)を「書くこと」を通じて、明らかにしたい
それによって自分と自分以外をエンパワーして共に生き続け、生き続けることで抵抗を示したい
では、また