ドッペルゲンガーという名のバイオハザード【Us】
この作品はゲット・アウトでアカデミー賞脚本賞を受賞したジョーダン・ピール監督の第2弾
ピール監督の作品、映画歴が短い私がいうのもおこがましいが、ホラーのジャンルで分けられやすいけど、その内容はホラーではなくて、どちらかというと作中で訴えたいことの表現方法を素直に映画にするとホラーっぽくなってしまうだけなのではないかと思ってしまう。
分類っていう点では、配信サイトによっては『血』が出ただけでホラーっていう分類されてしまうから、最近何を観ようかって妻と相談しているときに「ホラー」って出てもあまり信用していない(笑)
また、このジョーダン・ピール監督の作品って伝えたいテーマが決まっているが、最終的な感想や考えは『こちら側』に与えてくれるところも面白いし、きっと監督もそうやって観た人たちが色々と考えて悩んでいる様を見るのを楽しんでいるんではないかなと思ってしまう。
まぁ、まさに思う壺なのだが、でも逆にその思う壺に自ら飛び込んで考えてみるのも楽しいって観終わって思った!
今回の感想を書く前に、他の方たちの考察も色々と拝読させていただいたが、監督の思惑通りな感じにまとまっていたし、皆様の考えを観ていると「なるほどなぁ」って感動させられる。
なので、ちょっと自分の考察は、正直他の方たちに比べたら幼稚ではあるが、共感できたことも多かったので自分の感想を述べてみたいと思う。
<登場人物>
●アデレード・ウィルソン=レッド・ガブリエル
●ゲイブ・ウィルソン=アブラハム
●ゾーラ・ウィルソン=アンブラ
●ジェイソン・ウィルソン=プルート
主人公アデレードは幼い頃両親とサンタクルーズに遊びにやってきた。
もぐら叩きに夢中になっている父親をよそに一人、ミラーハウスへと迷い込んでいく。そこでもう1人の自分(レッド)と出会う。
そのショックからアデレードは失語症になってしまう。
ってか、話はズレるけど、同じ子を持つ父親として、ゲームしてもイイけど、子供そっちのけで自分が夢中になっちゃダメだよね…
アデレードの両親が病院の先生と話しているシーンでは、アデレードの様子がおかしかった。
周囲を見渡しているが初めて見るような目。
両親を「誰なんだろう」と見ている目。
初見は当たり前かもしれないけど、ここが一番の伏線だったとは気付かなかった!
思い返してみれば、ミラーハウスでショックで倒れて「あぁ、私無事だったんだ」という感じで周囲を見ているのではなく、「ここが上の世界なんだ」という表情をしていたなぁって。伏線作りのうまさが光るところだよね!
場面は変わり、アデレードはママになっていて、家族であの思い出の地「サンタクルーズ」へと向かっている。
行く途中、殺人現場に遭遇。
救急車に搬送されている現場を目撃する。
この人はアデレードが幼少期にミラーハウスへ向かう直前に「エレミヤ書11章11節」の看板を持っていた男性だった。見ていた時はわからなかったがここでも伏線があり、アデレードが他の人とは違う、いよいよもって自分を襲いにくるという「危機感」を感じていたんだよね。
友達の家族とサンタクルーズで遊ぶ設定なのだが、本当に友達⁉︎って感じの金持ちイヤミ家族。でもいるよね〜自分のステータスに酔いしれていちいち聞いてもいないのに自慢してくるやつって🤣
そこの奥さんと話している時もアデレードは「私、あまりコミュニケーション得意じゃないんだよね」と。
確かにここも幼少期あまりコミュニケーションが得意じゃなさそうだったアデレードだったし、失語症になったけど、実はそれもレッドとと入れ替わっていたことをすぐに気づかせないためだったんだなぁと思う。
例のミラーハウスはまだ存在しており、アデレードがママになってからも存在していたくらいだから結構な年月が経っている。
あとから考えてみれば、そのミラーハウスは鏡に映し出されたもう一人の自分、つまりドッペルゲンガーがいる地下世界とをつなぐ門なわけだからなくならないんだぁと。
浜辺で遊んだあと家族は別荘にいく。
アデレードの危機感が時間が経つにつれてピークとなり、なぜそんなに怯えているのかを旦那に話す。
今まで旦那には話していなかったが、きっとサンタクルーズに近づくにつれて記憶が鮮明に蘇ってきたんだろうなと。
そこで全てを旦那に打ち明けるが…旦那は信じてくれない。
そんな時ついにきたのだ。
停電になり、外には不気味な4人の影が!!
そこでついにそれぞれの同じ自分達と会う。
アデレードについてはレッドとご対面するわけだが、レッドは声がかすれている。
ドッペルゲンガーという名の地下にいた人たちがうまく話せないことを表現しているのではなく、実はアデレードと入れ替わった時に地下で叫んでいたためだろう。それくらいに彼女は地下で、もがき苦しんできたんだなとすら想像できる。
・完全に支配されてどうしようもできなくなっているシーン
・レッドたちを振り払って嫌味な金持ちの友達のところへ行って、その友達も同じドッペルゲンガーに殺されてしまっているシーン
・湖が近くにある別荘のシチュエーション
「ファニーゲーム」を連想させるシーン。(って、結構ありがちな設定だったりして)
ドッペルゲンガーたちを振り切りジェイソンは生きていたプルートと会い、機転をきかせてうまくプルートを倒したところで、レッドに地下世界へと拉致られてしまう。
最終的にレッドを倒してジェイソンを助け出したのだが、ジェイソンはここで本当の自分の母親がどっちだったのかと悟っている。
もちろん見た瞬間では、ジェイソンの「気付き」に対してわかるということは、最後の場面を見ないとわからないんだけどね。
衝撃的なラストシーンは本当にピール監督にしてやられたなって思い、そこから今まで見てきた内容の考察をさせられるという感じ。
ラストシーン
幼少期にミラーハウスでレッドとアデレードが実は入れ替わっていたという衝撃の真実が明かされる。
そして助け出した後の車の中で、ジェイソンとアデレードが見つめ合い、アデレードが微笑んだ時にジェイソンは持っていた仮面をかぶるという、「やっぱり僕の本来の母親(表世界で存在すべきだった母親)はレッドだった」ということを知ったのだ。
他の考察では、ジェイソンとプルートが入れ替わったというのがあるし、僕も最初はそうかもって思った。
だって、1年前にできた手品ができなくなっていたのとプルートの仮面の下が火傷でただれていたからだ。
また逃げる車の中で、今流行りの音楽のビートに乗れないという場面でも「ひょっとしたら」と思える。
でも僕が違うと思うところは、仮にプルートが本当の表の世界にいたわけであれば、プルートはもっと流暢に話せたはずだし、キレやすい性格だとしても、1年でそこまで性格が変わるとも思えない。地下の人たちは、表の世界の人たちと同じ行動をしているから、ジェイソンがマジックをしたときに、地下でも同じようにプルートがマジックをやって、失敗して火傷を負ったのかなと思っている。
作中、序盤で殺されたおじさんが持っていた看板「エレミヤ書11章11節 」のように、
11:11が様々なシーンで出ている。わかりやすい伏線というよりはメッセージかなと。
お父さんが観ていた野球の試合が11:11
時計が11:11
ラストの救急車の上の数字が1111
ちなみにエレミヤ書11章11節は
それゆえ主はこう言いわれる、
見みよ、わたしは災いを彼らの上に下す。
彼らはそれを免ることはできない。
彼らがわたしを呼んでも、
わたしは聞かない。
と、この映画の全体像を表している。
最後のシーンは手を繋いだ人達の列。
Hands Across America
これは1986年5月25日にアメリカ本土で実際に行われたチャリティーイベント。
アメリカのホームレスと飢えに苦しむ人たちを救うイベントだったみたいだか、そのコンセプトとは裏腹に参加料取るんだもんね!
もちろん集めたお金を充てるのだが、お金集めるとなると必然的に集まる人達は限られるよね、という批判的なメッセージかと。某2〇時間テレビ的なね。
監督のメッセージは深いし結構なとこにスポット当ててるなと思う。
最後に一家は逃げられたけど、ドッペルゲンガー達の列はずっと続いてる最後のシーン。
それってこの物語が続くのではなく、この悪しき社会が続いていると言いたかったのかなと。アメリカにいる限りこの社会問題からは抜けられないみたいなね!
日本も格差社会ができつつあると言われてきているので、そうならない私たちでいたいですよね。
●アス
原題:Us
制作:ジョーダン・ピール
配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
公開:2019年3月22日
ジャンル:サイコホラー
鑑賞日:2024年7月下旬
お気に入り度
★★★★☆
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