「日本語びいき」
「日本語びいき」(清水由美 ヨシタケシンスケ 中公文庫)
日本語講師で、日本語講師養成講座の講師でもある著者による、日本語の面白さ、難しさを綴った本。「あせろアメリカ! やせろマイケル!」という宣伝コメント(36ページ)が文法的に誤りだというのは驚いた。他にも読んでいて、いろいろ発見があった。
焦るといえば、以前、マイケル・ムーアという(ふくよかな体形の)アメリカの映画監督の新作について、新聞に堂々と「あせろアメリカ! やせろマイケル!」という宣伝コメントが出ているのを見たことがあります。「焦る」なんていう動詞を命令形で使うことはまずありませんから、校閲者もつい(あるいはわざと?)見逃したのでしょう。
(中略)
「やせる」は一段動詞なので、命令形は「やせろ」で正しいけれど、「焦る」はラ行五段なので、もし命令形で使うなら「あせれ!」が正解。(36-37ページ)
ことばの変化には理由がある。いっぽうで、理屈では説明のつかないところも当然ある。たとえば近年使用されることがたいへん多い「エコな」は、「エコロジカルな」であって、しっぽが省略されている点では、「エロい」、「グロい」と同じです。それでいくと「エコい」が出てきてもよさそうに思うのですけれど、私は聞いたことがありません。音もかわいいし、いいんじゃないかな、「エコい」。普及しないかしら、---と、ここまで書いて不安になり、またまたググってみました。
......ありました。「エコいヒーター」に、「エコいゴミ箱」。
ゴミ箱の方はですね、「萌える(燃える)」か「萌えない(燃えない)」かを分別してゴミを投入すると、何やら色っぽい声が出る、のだそうな。エロい声を出すエコいゴミ箱。これをセンスがいいと言っていいものかどうか。いささか微妙ではありますが、ことばで遊ぶ、その意気やよし。(59ページ)
同じように「~している」の形にしても、<動作の進行>ではなく、いうなれば<結果の状態>を表してしまうものがあるということなのです。このタイプの同氏は、もともとじつは<動作>ではなく、<変化>を表しています。「太る」、「冷める」、「さびる」のほかにもたくさんあります。「やせる」もそうですし、「(電気が)つく/消える」、「(ドアが)開く/閉まる」もそう。さきほどの「座る」とその反対の「立つ」も、一見、動作に見えますが、このタイプ。さらに「結婚する」や「死ぬ」も、<変化>を表す動詞です。「結婚する/死ぬ」前と、「結婚した/死んだ」後では状態が変わります(変わりますでしょ?)。事後の状態を表すのが、「結婚している/死んでいる」の形です。(66ページ)
ことばというのは、究極の民主主義、多数決がすべて、数の暴力がまかり通る世界です。どんなにマチガッテル!と言われていた表現でも、使う人が増えれば、やがてそれが正義になる世界です。その暴走に歯止めをかけたくなる心理は理解できるし、そうした抵抗が変化のスピードを緩やかなものにして、同時代に生きる多様な世代の人々の相互理解を担保するよすがにもなるとは思います。でも、だからといって、妙な教条主義をふりかざすような考え方は、日本語を息苦しくさせるだけです。(173ページ)
好きな酒で人生を棒に振った。
つまみはこっちで用意するから、好きな酒を持って集まって。
右の二つの文にはどちらにも「好きな酒」という句があります。音読するとしたら、どう読みますか?人生を棒に振ったほうは、おそらく酒なら何でもよかったでしょうね。酒の種類を限定しようとはしていません。「酒(というもの)が好きだった。その酒で人生を棒に振った」という意味です。それに対して、宴会のお誘いの方は「日本酒、ビール、ワイン、焼酎、あなたの好みのお酒を何か持ってきて」ということです。声に出して読むとすれば、人生を棒に振ったほうは、「好きな、酒で」と、「酒」にプロミネンスを置きます。宴会のほうは、「好きな酒を」とひとかたまりにして読みます。(195-196ページ)
なぜ、「(先生が)上手に教えました」と言われて、すなおに喜べないのでありましょうか。
それは根っからバリバリの日本語ネイティブである私の心の奥底に「目下の人間は目上をほめるものではない」という感覚が根を張っているからとしか思えません。もっとはっきり言っちゃえば、「学生の分際で教師をほめるなんざ十年早いわ!」という感覚です。
アラいやだわ、私ったらそんなエラそうなこと考えてたのかしら。
考えてたんですね。私一人の問題ではなく、日本(語)の社会において、目下は目上を正面からほめてはいかんのです。
「(先生が上手に教えてくださったので)おかげで私は日本語が話せるようになりました」とか、「先生の授業が(よい授業だったから)私は好きでした」のように、カッコ内の部分は言語化せず、自分のこととして、自分はどうだったか、を語るのは問題なしです。でも、「上手に教えた」とか「いい授業だった」のように教師のデキを面と向かってほめるのは、学生の身ではルール違反なのです。
つまり、相手の技量をほめる、評価する、というのは、日本(語)社会においては、「上から目線」の行為であり、目下の者がしてはいけないことなのです。(200-201ページ)