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「休むヒント。」

「休むヒント。」(群像編集部 講談社)

「群像」という月間文芸誌における、33名の著名な方々の休み方についてのエッセイをまとめた本。

休みに罪悪感を持っている人、休みが仕事の一部の人など、いろいろな考え方に触れることができて面白い。

 休むとは、小さなことに忙殺されるのでも、かといって大きすぎる理想に急き立てられるのでもなく、この今にある中くらいの自分というものを、いったん受け入れてみることなのかもしれない。(90ページ、向坂くじら)

 小説を書くのは机に向かう時間が長ければそのぶんだけ原稿ができあがるものではないので、労働時間と成果に合理的な関係性がなく、だから働くことと休むことを単純に対立させて考えると、なにが働きでなにが休みなのかわからなくなり、自分がすごい働いているようにも、休んでばかりのようにも思えてくる。(110ページ、滝口悠生)

 小説を書く仕事は釣りに似ているような気がしている。大人になってからはろくに釣りをしたことがないのだが、小説の原稿を書くときにいつも思い出すのは、子どもの頃に祖父やおじと一緒に港で釣り糸を垂れていたときの気分で、ただ座って釣れるのを待つ、魚を釣るという意志はあるが、そのためにすべきことが特にない。あるのかもしれないがよくわからないので、なにもせず釣れるのを待つ。という能動でも受動でもないような状態に、小説を書く仕事は似ている気がする。(111-112ページ、滝口悠生)

 「休み」と言うと、朝から晩まで何もしなかった日とか、仕事をほとんどしなかった日と位置づけられがちだが、一般的な基準で「休み」を考える必要はない。仕事がスムーズに進んでうまれた一時間を「休み」としてしまえばいい。(120ページ、武田砂鉄)

 それと同時に、「達成すること」に囚われすぎている自分がいることにも気づく。ジョン・レノンが「If you enjoyed the time you wasted, then it wasn't wasted time (無駄にした時間が楽しければ、無駄な時間ではなかった)」と言ったとされるように、休むことや何もしないこと、「やらなきゃいけないこと」をいったん放棄しリラックスして休息を楽しむことは、生産と消費を人間の価値に結びつける資本主義社会においてはひとつの「抵抗」だ。資本主義に飼い慣らされた私たちは、休みに対して罪悪感を抱いて当然なのだ。(125-126ページ、竹田ダニエル)

 「休むための体力」、一生懸命毎日を過ごしていると気付かないうちに減りがちよね~と思います。(133ページ、つづ井)

 山本文緒さんのエッセイ「無人島のふたり」(新潮社)
 がんの宣告を受け58歳で永眠された山本さんの最後の日記です
 その中の一節、
 「例えばもう仕事は最小限にして語学をやったり体を鍛えたり、お金じゃなくて時間のほうを使えばよかったのかもしれない。」
 わたしはここを読んだとき
 「スイスに行こう」「ずっと行ってみたかったし」
 と真っ先に思ったのです(叶えた)
(183-184ページ、益田ミリ)

 休むことが難しいのは、そしてこれという唯一の処方箋を見出しにくいのは、休みという言葉の種類や定義があまりにも多岐にわたるからではないか。より正確に書くならば、世の中には多種多様なストレスや精神的・肉体的疲労があり、それにぴたりと対応するような休みかたが異なって存在し、そして健康な人はなんらかの休息を必要としたとき、無意識下で、状況にあった適切な休息を選び取る。しかしながら、ぼくたちのほとんどは漠然と「休み」と大きな枠でくくり---そして、適切な種類の休息を本能的に選べないような、なんらかの不健康に見舞われたとき、休みかたを間違えたり、休めなくなったりするのではないかと思う。(189ページ、宮内悠介)

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