「人生の整理学」
「人生の整理学」(外山滋比古 イースト・プレス)
英文学者、評論家、エッセイストの著者による、自分史の書き方についての本。もとのタイトルは「自分史作法」で、それを復刊したものである。自分史について、過去の作家の事例について触れた上で、簡潔で、読者のことを考えた内容であるべきと述べている。とても面白かった。
"自分史"は自分のことを書いた記録であるが、日記のようなものではない。日記は人に読まれることを予想していないけれども、"自分史"は発表する、活字にする、本にすることを意図して書かれるところが異なる。
自叙伝とは性格を同じくするが、それほどにははっきり世に問うといった構えをもっていない、もち得ない、ささやかな個人の生活史というのが"自分史"にこめられているニュアンスであろう。人はたいてい、自叙伝を書こうなどとは考えないで一生をすごす。しかし、"自分史"ならば、書ける、買いてもよい、書きたいという人はすくないと想像される。ことに、女性にとっては、自叙伝では気がさすけれども、身辺雑記、こし方を回想する文章なら書けると思われるだろう。"自分史"は女性の書き手によって広まり、ブームといわれるまでになったようである。(12-13ページ)
俗にえらい人には電気が書かれるけれども、ごく普通の人間は、まず、伝記の人になることはないといってよい。
そこが自分史は、違う。えらくなくてよいのである。自分のことを自分で書けばよいのだから面倒がない。書きたいから書く。書くに値するかどうかは、自分ではきめにくい問題だから、考慮の外においてかまわない。その点で、気楽である。だれにでも書ける。その限りで、日記に通じるところがある。(13-14ページ)
東京のある小学校が、卒業文集を作り、卒業する児童に、いま、いちばんほしいものはなにか、を書かせたところ、おどろくべき結果が出た。
三十九人のクラスのうち、カネがほしいと書いたのが、二十人。イエがほしいと書いたのが十六人。エレキギター一人、ノーベル賞一人、わからない一人というのである。
カネとイエで九割をこえる。これから中学へ行き、やがて高校、大学へも進もうというこどもたちが、そんなものしか求めないのか。夢というものはないのか。もうすこしましな答えはできないか、などとなげかわしくなる。
こどもがいけないのではない。家庭がそういう考えをこどもに植えつけたのである。とくに教えることでもないし、口に出すこともないかもしれない。しかし、こどもは敏感で、親の考えていることをしっかりうけとめる。口で言われたこと、親の言うことはきかずに反発するけれども、親が本当に思っていることは、だまって、うけ入れる。親が金がほしいと思っているから、こどもも金がほしいと考えるようになる。自分の家がほしいと願っている家庭の子はいつしかマイホームをあこがれる。(17-18ページ)
自分史づくりが急に流行のようになったのは、心のマイホームをつくろうとする気持が多くの人たちの心に育まれていたからであろうと思われる。自分の世界を創り出すことになるのだから、おもしろくないわけがない。自己表現という点からしても、歌や句をうたったり、ものをこしらえたりすることに比べて、いっそう直接的である。自分を生かす。自分をひとに見てもらう。そういう気持もみたしてくれるのが自分史である。大げさな言い方になるが、新しい創造である。(21ページ)
自分史を書くに当って、まず必要となるのが、この己を知ることの難しさである。そして、つぎに、何を書くかである。逆に言うならば何を書かないでおくかである。すべてのことを書こうとすれば、書けるわけもないが、大混乱を来すにきまっている。
そして近いことはなるべく避ける。遠い日の自分、つまり若いとき、幼いときの自分なら、距離があるから、まとまった世界に書きやすい。(27ページ)
だれだって書き出しには苦労するもので、書き損じが山になるという小説家のはなしもある。悲観することなどすこしもない。ただ、ひとつ心がけたいのは、うまく書いてやろうと思わないこと。かまえると、頭が固くなって、うまく働かなくなる。できるだけ、ふつうの文章を書くようにした方がいい、というようなことを言って応援した。(29-30ページ)
この方法を教えてくれているのは、イギリスの大歴史家E・H・カーである。彼は本を書きおろすとき、第一章から順次、書いていくようなことはしないで、いちばん書きやすい、自信のある部分から書き始める。そうすると、難しいところも勢いがついているから、わりあいにうまく乗り越えられる、という体験を披露している。ぼくはこれからつよい感銘をうけ、できるかぎり実行していると友人に伝えた。(32ページ)
ただ一般では、もらった手紙は、保存することができるが、出した手紙を再び手もとへとり戻すことはほとんど不可能である。だいいち、だれに出したかも忘れている。しかし、もし、出した手紙を回収することができれば、そしてそれを編集することが可能ならば、それだけで、またとない自分史になる。(このごろは手紙の代りに万事、電話ですませてしまうが、この電話はそのとき限り消えてしまうから、通話内容で自分史をつくるのはまったく不可能である)ひとに出した手紙を返してもらうことはできないが、出す前にコピーしておくことはできる。
そうという改まったタイトルで書いたものでなくても、おのずから、自分史となているものが、ほかにも、たくさんある。われわれのすることなすことは、そのまま、すべて自分史の材料でないものはない。
このように考えると、われわれは、だれしも、それと気づかずに、自分史をつくって生きていることに気づくのである。
"わたくし"にいくらかはみかみを感じることの多い人間にも、この名のない、間接的自分史ならたくさんある。(41ページ)
文章を書く場合でも似たことが多いようである。書くとなったら、それだけしか考えない。ひとの書いたものを読もうとはしないのである。もともと読むのと書くのはまったく異なる知的作業である。書くことに集中すれば、本など読んでいられない気持になってむしろ当然であろう。つまり書き出したら、心をこめて本を読むことは難しくなる。しかし、書くには読まなくてはいけない。よく読んでいないのに、しっかりした文章を書くのは、通常、無理である。(44-45ページ)
書くために読む、言いかえれば、書くことを考えながら読む---これは、普通、あまりしない読み方である。しかし、それが、本の中にある気の利いたことばを覚えて、いずれ使おうというような下心であってはならない。より本質的な文章法、スタイルを身につける読書であることが求められる。スタイルのある文章が生きた表現だからである。(46-47ページ)
"わが本"がきまったら、読む。一度や二度では話にならない。五回、十回と反復読み返す。内容などすっかり頭に入ってしまったところで、文章の骨格が、無意識ながら頭に入るようになる。昔の人が、読書百遍意おのずから通ず、と言ったが、この意というのもこの骨格に近いものであろう。(48-49ページ)
これを見ると、モンテーニュは自分史を綴ったのであることが了解される。現代、自分史を書く人もまったく同じ気持であると言うかもしれない。さらに、モンテーニュはつづけて、
「この本の中に、わたしの自然の日常の、堅くもなければ取りつくろってもいない、ありのまんまの姿を見てください。まったくわたしは、わたし自身をここに描いているのです。わたしの欠点もここにはありありと読まれます。わたしの生まれつきの癖だって、世間さまに失礼にならない限り、正直に書いてあります」そして最後を「わたし自らがこの本の内容」(以上、関根秀雄訳による)で結んでいる。
これは、そっくり、そのまま自分史を書くものの心得として拳拳服膺すべきことばであるとしてもよい。(52-53ページ)
自分史を書くには、あらかじめきめておかなくてはならないのが、この様式である。自分のことをうそいつわりなく書ける、書く、とするか。多少、読みものとしての体裁をととのえた記録にするか、である。
どちらも、なかなか骨であるのには変わりがない。(55ページ)
いったいに、幼少のころは、ひとり人間にとっての神話の時代である。メルヘンの世界である。そのままが、詩であり、物語である。よけいな作業を加えなくとも、人の心を動かすようになっている。(59-60ページ)
自分史を書こうとするものな、まず、この「半自叙伝」を三回くらい味読する必要があるように思われる。自分史の古典だといっても決して過言ではない。(64ページ)
こういう日記がだれにも書けるわけのないことははっきりしているが、よけいなものを入れないで、ひたすら即物的な記述に徹すれば、日記がそのまま自伝になり得る、自分史であり得ることを子規の日記は示している。そして、それが百年以上後の読者にも芸術的香りをもっているのは特筆すべきことのように思われる。
自分史は、やはり、日記の拡大であると考えられる。拡大といっても、よけいなことを加えるのではなく、むしろ、ぜい肉をそぎ落して簡潔にした形によってふくらませた日記がすぐれた自分史になるのである。出版されないで埋もれている、そういう日記がこれまでどれだけあったかしれない。(77ページ)
そして、日記と同じように、自分史も、ひとに見せることを考えないで書かれたのがもっとも自然で、それだけすぐれたものになるとしてよい。表現の皮肉なところである。(78ページ)
自分のことを書いて、ひとに読んでもらいたかったら、うるさく、こまごましたことを並べないことである。思い切って、削る。省く。抑える。あえて書かないところをつくる。これが実にたいへんなことであると知らなかったら文章が書けるとうぬぼれない方がよいだろう。
さらに、自分を語って、おもしろいと思われたかったら、自分をつき放してながめることである。わが身かわいやというセンチメンタルな書き方は禁物である。自慢話などそのゆうたるもので、自慢がさらり、おもしろく出来たら大したものである。
(82-83ページ)
読む方でも、二百ページもあるような大部なものを送りつけられたら、たいていは読まないだろう。アメリカにエドガー・アラン・ポーという作家がいた。いまから百年近く前に、これから世の中はますます忙しくなる。小説を何日もかかって読むことの出来る人はすくなくなるにきまっている。一気に(ワン・シッティングで)読める短編小説(ショート・ストーリー)が需められるようになると予言したのは有名である。自分史についても、同じことが言える。長編は、書く本人には満足を与えるかもしれないが、世のため、人のためにはならない。ひそかに自分の机の引き出しに隠しておくだけのことなら、何千枚であっても一向にかまわないが、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいのだったら、読む身になってみなくてはいけない。(94-95ページ)
生きていくための記録としては日記は意義がすくない。すんでしまったことを書いてみても明日の生き方にすぐ作用するわけではない。つまり、日記は自己満足のためにつけるようなものである。
日記は日々の生活の決算報告みたいなものである。それ自体は建設的な意味をもっていない。よりよく生きていくには、予定記ともいうべき計画をつくる必要がある。明日はなにをするか。それを考えるだけで、生き方が変わってくる。(97-98ページ)
これだけ大胆に、正直に自分のことを書けるかというのが、普通の人間にとって大問題である。あからさまに書くのなら、他人に読まれては困る。ひとに見てもらえないのなら、そもそも書くという面倒なことをする気になれない。
どうしても、多少の潤色、つまり、虚構が入る。日記をつけるとき、たとえ、ひとに見られるおそれのまったくないときでも、ちょっと事実を飾るということをまったく避けることは難しい。完全に事実のみを書いても第三者から見ると、たいてはおもしろくないのである。
自分史は、だれのために書くのか。書く人は、つねに、書きながらも、そのことを考えなくてはならない。(101-102ページ)
つまり、自分のことは自分がいちばんよく知っているつもりでいても、それが、もっともすぐれた自分史、自伝という歴史が書けるのではない、ということである。自分自身を歴史的対象としてながめ、そこから一人の人間像というものをまとめ上げるのは、まさに自画像の創作である。生きてきたことをありのままに描くのではない。そんなことはだれにもできるわけがないのである。もちろん事実は大切であるが、事実をならべるだけでは歴史にならない。資料である。どういう事実をとり、どういう事実は伏せるかという選択の問題もある。さらに、全体をどのような調子で包むかというスタイルの問題もおこってくる。(106ページ)
彼は、書けるのに、書けない、と言ったのか。そうではなかろう。写真なしでは、おそらく、その言う通り、三行の文章も書けなかったかもしれない。ところが、写真があれば、それをタネにして、なんとでも書ける。それは、文書ではなく、話である。構えなければ、話はいくらでも続けられてたのしい。
自分史を書こうとし、あるいは、すでに書き出していて、どうも思うように筆がすすまないで悩んでいるときには、このアルバム文集が参考になるような気がする。空をにらんで、文章を綴っていくよりも、節目節目の写真をえらび出し、適宜、編集して、絵巻物的なシリーズをつくる。
そしたら次は、それに思いついたことを書き添えていく。一度に書ききらなくても、あとで思いついたら、前に戻って加筆、補記すればいいのだから、気が楽である。(111-112ページ)
「ヨイコノタメノカギ」という呪文のようなことばを紹介しているのはその一例dえある。このことばは、老人病の権威大島研三氏の考え出したものだという。高齢者の生活上の心得九カ条を、覚えやすいように、頭文字をつなげたのが、この「ヨイコノタメノカギ」である。
ヨ 酔って入浴するな(箱根あたりの温泉でひと月に百人くらいが酔って入浴して死ぬ。その大半が高齢者だそうである---こんなことをはじめてきく)
イ 医者と仲良くせよ
コ 転ぶな(年をとるとちょっとしたことで転ぶ。骨折するとそのまま寝たきりになり...)
ノ 飲みすぎるな(もちろん、水ではなくて、酒)
タ 食べすぎるな(胃の不消化から体力を失って病気をおこす)
メ 目方に注意(肥満大敵)
ノ 呑みそこなうな(酒を呑みそこなうなというのではない。食べたものを喉につかえないように注意せよというのである。リンゴ、餅、江戸前にぎり寿司にはとくに気をつけること)
カ 風邪をひくな(万病のもと。老人の死因に肺炎のなんと多いこと。実際は風邪である)
ギ 義理を欠け(義理があるからというので無理をして冠婚葬祭などに出て命をおとすもとになった人も古来、すくなくない)
(120-121ページ)
自分史にとってもっとも重要なのは短篇性である。短ければ短いほど含蓄が増すように感じられる。新聞の死亡記事、雑誌などにのる追悼録はごく短い文章であるために、印象深く読まれるのである。
そうはいうものの、三枚とか五枚の追悼録ではいかにももの淋しい。もうすこし、詳しいことが知りたいと思うの読者の心理というもので、それを満足させる形式ができている。
文学者の全集などで、巻末に、年譜がつくことがすくなくない。これがおもしろい。作品自体とはちがった興味をよびおこす。かくれた愛読者がいるらしい。作るのはたいへんだが、その労は充分に報いられる。(125-126ページ)
自筆年譜は、そういうわけで、自分史として見て、もっとも純度の高いことが納得されるのである。ただ、文書を書くのがたのしい、というのなら、こういう短篇記録では満足できないであろうが、自分をひとに知ってもらいたいのが目的だったら、一冊の本は、数ページの年譜に及ばないことがある。自分史を書こうとするなら、それくらいは心得ていたい。(127ページ)
新聞は毎日、社会面の左下隅に死亡記事をのせる。これが気になるようになれば、新聞を開いて、まずそこへ目がいくようになったら、年をとった証拠だといわれるらしい。(131ページ)
われわれの目は外を向いている。自分を見るために目があるのではない。すこし離れたところのものを見るように出来ている。ごく近いものは、灯台もと暗し、で見ても見えないようになっている。禅家のことばに"脚下照顧"というのがある。他に向って理屈を言ったりする前に自分の足もとをよく見よ、という寓話で使われる標語であるが、文字通り脚もとをよく見よ、ということでもある。よそごとより、自分のことの方が見えない、見るのが難しいということをも意味しているといえよう。
自分史は、まさに、脚下照顧の文章である。それがたいへん難しいということを、文章を書き慣れないで、自分史にとりかかろうという場合、ほとんど気づいていない。自分史の成否は、この点についての心構えができているかどうかにかかっている。(134-135ページ)
自分史も、創作修業と同じで、同人雑誌をつくることが、たいへん役に立つ。まわり道のようであるが、かえって近道である。ものごと、ゆっくり急げ、でなくてはならない。(142ページ)
それである時、広告の裏を利用して書いてみると、これが案外、すらすら書けるのである。のびのびと書けるのにすっかり気をよくして、それからは、はじめの下書きは、かならず、書きほぐしになった原稿の裏紙に書くことにした。そうすると、なんとか仕事がはかどるようになった。それで書きほぐしの原稿紙を大切にとっておいて愛用する習慣がついた。恥かしくてとても人には話せることではないが、そういうことをすくなくとも十年くらいはつづけたように思う。(147-148ページ)
原稿が出来たら、しばらく風を入れる。書き上げたものをすぐ印刷する、というようなことはよほど書きなれていても、しないのが普通である。短い、雑誌に載せるような原稿でも、しばらく置いておいて、手を入れる。これはいけない、というので書きなおすことだって、ないわけではない。(156ページ)
自分史が書きものとして成功するには、つまり、読者に読まれるためには、自分のふれたくないところをあえて披露し、反対に、言いたくてむずむずするところは、これを抑えるというストイックな精神が求められる。それがいやだったら自分史などを考えないことである。(164-165ページ)