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「自分の薬をつくる」

「自分の薬をつくる」(坂口恭平 晶文社)

作家、画家、音楽家、建築家である著者による、20名程度の参加者の悩みに対して回答するワークショップについての本。躁鬱病を患っていて薬を飲んでいた著者は、「自分に合った、自分の症状や調子に合わせた新しい日課をつくる」(18ページ)ことで、いわば自分で薬をつくり、症状を改善させていったそうで、ワークショップでは著者が医師役となり、参加者の悩みを聞いて、○○をしなさいという処方箋というか解決策を提示している。
他の参加者が聞いているところで悩みの相談をしていると、相対化されるというか、客観的に見てよくある悩みに思えてくるというのは面白いと思った。多くの悩みは、そういうものなのであろう。

 「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」という状態について、私にはもう一つ別の経験があります。
 それが「つくる」ときなんです。
 何か新しいものをつくる時、たとえば、私の場合で言えば、新しい小説を書いている時、まわりの人からは「次々と書けて、想像力が豊かなんですね」と言われることがあります。確かに好奇心や前向きの強い気持ちみたいなものが、作品をつくっている活力になっていることは多々あります。しかし、つくる直前はそうではありません。真逆であることの方が多いんです。とても敏感になっているので、ちょっとしたことで考えが揺れ動きます。前向きというよりも、後ろ向きであることの方が多いです。(33ページ)

 外からの情報を取り込みすぎて、満腹になっている、酸素が過剰にある状態で、しかもアウトプットの方法がわからない。これはつまり、死にたい、ではなく、このままいくと死んでしまうよ、という体からの警告なのではないでしょうか? 死にたいんじゃないんです。対処しないと死んでしまうわけです。しかも、解決策はあまりにも単純です。アウトプットをすればいいんです。
(中略)
 アウトプットすること、これが「つくる」ことです。(39ページ)

 これは自分の日課をつくるということだと言いましたが、自分の日課をつくり出して、毎日実行すること、これ自体が、あなたにとってのアウトプットということです。普段呼吸をするように、排泄をするように、日課をやっていく。(40ページ)

 躁鬱病の私は、激しい気分の浮き沈みが起きます。それこそ、毎日、目を覚ましてみないとわからないんです。だからこそ、日課がとても大事になってくるのです。調子がよくても悪くても、同じ作業をすることで、気分の上がり下がりで左右されないようにしようとしているわけですね。(83-84ページ)

 そんなわけで、私はこの気まぐれな力とも付き合っていかなくてはいけません。いや、それは一切悪いものではないんです。やはりそれもまた力ですから。しかも、とてつもなく大きな力です。日常的な感覚、日課的な感覚では思いもつかないような、常軌を逸した行動を起こさせようとします。どうにか平和的使用法を見つけ出す必要がありました。
 そこで見つけ出したのが、ここでお伝えした「企画書を書く」という方法です。(86ページ)

 言われてないことは「言われてない」ことにとどめておくこと。(141ページ)

 とにかく皆さん「やりたくないこと」をやりすぎているんですね、おそらく。(155ページ)

 アウトプットも今みなさんがやっているような適当なインプット、乱雑なインプットのようにできると楽になるような気がしませんか? 私が普段心がけている方法はこれです。適当なアウトプット。さっとやる。思いついた瞬間にそのままやる。改まらない。エラそうにしない。教科書通りにしない。ルールを無視する。ほっとく。適当に。真似したりして、さっと形にする。深刻に考えない。ただの娯楽としてやる。ひとに見せることは一切考えない。ただの楽しみとしてやる。(206ページ)

 このことについてもすでにヒントは伝えましたよね。ホックニーの言葉です。
 「自分に深刻になるな、作品に真剣になれ」(216ページ)

 自分の薬が必要だと感じているときは、つまりアウトプットするときなのです。(270ページ)

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