「日本銀行 我が国に迫る危機」
「日本銀行 我が国に迫る危機」(河村小百合 講談社現代新書)
日銀出身の著者による、日銀の債務超過に警鐘を鳴らす本。かなり詳細なデータと共に述べられている。こちらは経済の専門家ではないので全て理解できたわけではないが、少なくとも190ページの「図表5-7 我が国の国債・財投債の主体別保有残高の推移」のグラフを見ると、中央銀行(日銀)が国債発行残高のほぼ半分を保有してしまっており、日銀が国の借金を丸抱えしていることがよくわかる。これで金利が少しでも上昇すると国債の価格が下落して債務超過になってしまうから、日銀が国債を買い支え続けなくてはいけない状況になっている。
日本の戦後の預金封鎖の話や、21世紀に入ってからのアイスランドやギリシャの事例なども詳細に説明されている。「私たちは何をなすべきなのか」の結論はやや抽象的な感じもしたが、現在の日銀の危機を理解する上でいい本であると思った。
日銀はこれまで9年あまりもの長期間にわたり、他の主要中央銀行の緩和策とは規模・内容・期間の面で大きくかけ離れた異次元緩和を展開してきた結果として、国内外の経済・金融情勢に応じて機動的に金融政策運営を行う能力を、事実上、すでに喪失しているのです。表向きは様々な他の"理由"をつけてはいますが、本当のところは、他の主要中央銀行のように、機動的に金利を引き上げることができなくなってしまっている。だからこそ、日銀は超金融緩和政策からの転換を頑なに拒み続けているのです。(25-26ページ)
ここまで、Fed、ECB、BOEという主要中央銀行の近年の金融政策運営を、日銀とは対照的なエピソードをとりあげながら、振り返ってきました。彼らは、一見、黒田日銀の異次元緩和と同じような金融政策を行っているようで、その内実はかなり異なるものであることがおわかりいただけたのではないでしょうか。彼らの次のような姿勢に、私たちは学ぶべきであると私は考えます。
机上の特定の"理論"に過度にとらわれず、新しい政策手段は慎重に、かつ段階的に試みる。
効果のほどや副作用や弊害についても入念に点検し、必要であれば実際の政策の展開に反映させる。
政策決定に関し、多様な意見を持ち寄り議論を尽くし、少数意見にも十分に配慮して、最終的な政策運営を組み立てる。
新たな政策運営の導入に伴って生じる、都合の悪い側面(国民負担)等についても、早期から国民に誠実な説明を尽くし、問題の理解の浸透を図る。
市場金利は市場が決める。危機の局面が過ぎたら、中央銀行は手を引くのが当然。経済情勢の変化に伴う市場金利の上昇を過度に恐れない。市場の金利形成機能、メカニズムを、中央銀行として最大限に尊重する。(152-153ページ)
日銀は、2%の物価目標の達成の見通しの時期を先送りし続け、あげくの果てには達成が見通される時期を明確に示すのを放棄してしまいました。長期化に伴って生じる副作用や弊害について、日銀自身も、また政府の側も、まともに検討することもなく、異次元緩和はいたずらに長期化されることになりました。その最大の理由は、異次元緩和が放漫財政を助長する道具と化してしまった点にあるのでしょう。それは、我が国の財政事情に関する然るべき危機感を持ち合わせず、財源の裏付けのない"バラマキ"的な財政運営を行って国民の歓心を買い、国民の支持率の押し上げにつなげたかった政権にとっては極めて都合のよいものだったのです。(165-166ページ)
でも、よく考えていただきたいと思います。日銀がこの先、赤字に転落することになるのはなぜでしょうか。長期間にわたって、国債につく金利を、無理やりゼロ%近傍などという超低水準に力ずくで抑え込んで、その国債を山のように、あと先のことなどおよそ考えずに日銀自身が抱え込んできたのがその理由です。その陰で、一番楽な思いをしてきたのは政府、言い換えれば私たち国民なのです。これほど大きな国債残高を抱えた国でありながら、まともな金額の利払費も負担せずに済んできたのです。この点を、私たちは、今、改めて認識する必要があります。これから私たち国民に現実の問題として突きつけられることになるであろう、日銀の赤字転落や債務超過状態の長期化という問題は、私たちが異次元緩和の裏側で実際の負担を免れてきた利払費相当分の後払いを迫られる、ということに相当するのです。(175ページ)
日銀がいわば"大株主"となっている企業の株価は、その企業のその時々の実力を本当に反映した株価と言えるのでしょうか。一国の中央銀行が企業の株を買い占めて、株価を押し上げるのは、一見、好ましいことのように見えてしまうかもしれませんが、実際には決してそうではないでしょう。各企業の経営に対する厳しいチェックが働かなくなったり、株価が実力以上に押し上げられてしまえば、そのツケはいずれ当該企業、ひいては我が国の経済全体に及ぶことになります。(183ページ)
この預金封鎖は、日銀や民間金融機関も含めて極秘裏に準備したうえで、国民向けの公表は実施の前日16日の夕方の渋沢蔵相によるラジオ演説を通じて行われ、わずか1日で実施に移される、という、いわば相当な"荒業"でした。(206-207ページ)
現在の我が国の財政事情は、敗戦直後の我が国と同レベルにまで悪化しています。私たちは、当時の経過から、次のような、いくつもの教訓を読み取ることができると思われます。
1. 国債の大部分を国内で消化している場合には、国債の元利払いの債務不履行(デフォルト)は、国債を多く保有している民間金融機関の経営破綻の引き金を引くことになり、金融システムの崩壊につながれば事態のさらなる悪化を招くため、何としても避ける道を探る必要がある。
2. これほどの規模で財政運営が行き詰まる一方で、国債の大部分を国内で消化し、国内に相応の貯蓄余剰がある場合には、財政運営の穴埋めのためには、フローの経済活動に課税する所得課税や法人課税、消費課税の税率引き上げ等では間に合わなくなる場合があり得る。その場合には異例の大規模な資産課税に踏み切らざるを得なくなる。
3. 大規模な資産課税によらざるを得ない場合、課税資産の流失を防ぐため、預金封鎖を先行させ、あとから課税する、という政治的な手法がある。その際、通貨交換を同時に実施すれば、タンス預金による抜け穴を防ぐことも可能になる。
4. (大日本帝国憲法下にあった当時とは異なり、現行の憲法下では当時の「預金封鎖→財産税課税」のような形での財産権の侵害はできない、という意見もあるようですが)こうした一連の政策の発動も、あくまで国会の議決を経て課税、という形で実施されるのであれば、日頃実施されている通常の課税と同様、財産権の侵害には相当しない。
5. (政府の借金はインフレで帳消しにできる、という意見もあるようですが)財政危機時には、高インフレが相当に進行していたとしても、先行き、インフレでどの程度政府債務を帳消しにできるかはあらかじめわかるものではなく、現実の問題として預金封鎖や異例の大増税等の債務調整に踏み切らざるを得ない。(212-213ページ)