『建色家』(第二回かぐやSFコンテスト応募作品)
バスに乗っていると、ふと、緑のビルが目に入った。僕はそれを見て思い出すことがある。僕が恋した人は緑色が好きだった。だから僕は緑色のプレゼントを渡した。そのプレゼントたちがどうなったかは知る由もない。ただ、なんとなく思い出して、なんとなく物思いにふけてみただけだ。
『次は…… 』
バスが次の行き先を告げる。僕は慌てて降車ボタンを押した。
21世紀も半ばを過ぎた頃、無機質な色をしていたビルの群れに色がつきはじめた。赤いビル、青いビル、黄色いビルなど、都市部を覆う色はとてもカラフルになった。そうなった理由は様々あるが、特に僕が気に入ってる物は、2020年代後半から活躍する建色家、アルディーニの‘それは自分の信条を表現するためだ’という言葉だ。
僕はアルディーニに憧れて、建色家をしている。建色家というのは、建物の色を決める際に色の配色や全体のバランスを考える仕事のことだ。建色家というのは、今、この仕事が無ければ、建築業界は成り立たないほどに必要とされている。それに伴って、僕はとても忙しいのだ。今日だって、新しい施工主との打ち合わせのためにここまで来たのだ。
目の前には青と紫のグラデーションのビルがそびえ立っている。僕は、一呼吸置いて、中へと入った。
案内された会議室には大勢の関係者がいた。皆、業界では名の知れた人物たちだ。物々しい雰囲気が部屋を包んでいた。僕なんかが居ていいのか分からなくなるほどだ。それでも、仕事だ、やるしかない。恐る恐る、空いている席に腰をかけた。すると、隣の席に座っていた人が話しかけてきた。
「やあ、君が真中くんだね。私はカインだ。専門は電気配線。よろしく」
「よろしくお願いします」
勢いで握手をする。いつも以上に自分の腕がぎこちない。ここまでの規模の仕事は初めてだから緊張する。そうしているうちに、関係者が全員揃って、打ち合わせが始まった。
「…… では、電気配線はカインさんの提案通りでお願いしたいです。他の方もよろしいでしょうか?」
物々しい雰囲気の打ち合わせは1時間以上続いていた。未だにこの日話すべき内容の3分の1も終わっていない。いろいろなことをメモしていくことで精一杯だ。これは後が大変そうだ。そういていると、話は次の内容に入ろうとしていた。
「次は、色について。ええと、真中さん、お願いします」
「はい!」
僕の番だった。メモを書くのを止めて、慌てて答える。僕は1週間かけて用意した資料を取り出す。
「建色担当の真中です。よろしくお願いします」
全員の目がこちらに向かう。
「ええ、今回のエルセレンタワーについて、施工主であるエルセレンさんの持つイメージカラーや、中に出店予定の店舗や劇場などのイメージを考慮して、タワーの色は青色が良いのではないかと思います」
周りの反応は上々だ。良かった。依頼が来てから長い時間かけて考えただけのことはあった。だが、その場にいた施工主のエルセレン氏の表情はさっきと大して変わっていない。どういうことだ。
「青色というのは、君がこのタワーに似合うと思って、選んだのか?」
エルセレン氏が尋ねてきた。言葉に少し詰まる。少し間が空いた。
「はい。このタワーとエルセレンさんのイメージを考えてこの色にしました」
「なるほど」
部屋の空気が少し、詰まってきた。これはどういうことだ。
「悪いけど、この色じゃないものでお願いしたい」
「えっ、どういうことですか?」
「君が心の底から表現したい色を使ってくれ。頼む」
エルセレン氏の要望に僕はそれ以上言葉が出なかった。その1時間後、打ち合わせは終わった。
青空の下、冷めかけたコーヒーを飲みながら、僕はエルセレン氏の言葉を反芻した。確かに、最初に出した青色というのは、ブランドイメージなどを汲み取って選んだものであって、自分が表現したいと心の底から思えたものではなかった。僕自身が心の底から表現したい色。自分でもその色が何色なのかわからない。まずは、その色を探すところから始めなければならない。
「かと言ってもなぁー、どんな色だ……」
髪を掻きむしる。そうしたところで目当てのものは見つからないのだけど。
すると、デバイスに一通のメッセージが入ってきた。
「誰だ……」
確認すると、それは、僕が最後に付き合った元恋人からだった。内容は簡潔にまとまっていた。
『久しぶり。今から、会えない?』
キーナと最後に会ったのはいつだろうか。僕は、キーナと別れてから一度も恋人ができないでいる。バスに揺られて、彼女との待ち合わせ場所へと向かっていると、色とりどりのビル街が遠のいていくのが見えた。今日のことを思い出す。自分が心の底から表現したい色。それは一体何色なのだろうか。そう考えているうちに降りるべき場所へと着いた。バスを降りて少し歩くと、目の前にキーナが立っていた。彼女の纏う雰囲気は、別れた時から全く変わっていなかった。
「久しぶりだね、真中くん」
「久しぶり」
それから僕らは、喫茶店へと入った。僕は紅茶を頼み、キーナはコーヒーを頼んだ。
「で、なんで僕を呼んだのかな?」
「なんでって、最近どうしてるかなって気になったから」
「そう。ありがとう」
それぞれ頼んだ飲み物が届く。僕と彼女はそれを一口飲んだ。飲んでそれから彼女は、一息ついた。
「最近、どうしてる?」
彼女が尋ねてくる。コーヒーを置いて僕は口の中のコーヒーを飲み切る。
「どうって、忙しいよ。今日だって大変だった」
「どんな具合に?」
「仕事だから深くは言えないけど、色々考えさせられた。ここまで、色々詰まるのは、初めてかもしれないな」
「そうか」
「そうだ」
それから少し笑い合う。彼女の笑い方は以前と変わっていなかった。
「その顔見てると、真中くんが建色家を目指して頑張ってる姿を思い出すよ」
「どういうところで思い出すのかなそれは」
「なんか、別れた頃の顔より真剣な顔をしてる……」
「……」
僕らが別れた理由は簡単なことだった。僕が仕事に追われて、キーナを大事にできなくなったから。それと、彼女に言わせれば、僕の本気の顔を見なくなったからだった。
「あの時はごめん……、大事にできなくて」
「そうね。それは、今でも許せない。だけど、許せないからと言って拒絶するのも無理がある」
「だから、今日ここに呼んだの?」
僕の問いに彼女は答えなかった。お互い一呼吸を置いてから彼女は緑色のネックレスを取り出した。
「これ、覚えてる?」
これは、僕がキーナに送った物だった。
「私が緑色が好きだからって、真中くん、何ヶ月も探してくれたのよね、それは、今でも良い思い出だよ」
「思い出になれたのなら、それは良かった」
すると、途端に僕は思い出した。なぜ、忘れていたのだろうか。彼女と僕を最初に繋いだ色。それは……。
しばらくして、エルセレン氏のタワーが完成した。開業式典には大勢の人たちが訪れている。僕はそこで、これからスピーチをする。
「いよいよだな」
「そうですね」
「ここまで、よく頑張ったよお互い」
カインさんは僕の方を叩いて先に会場へと向かった。すると今度はキーナがやってきた。
「おめでとう。実は渡したい物があって」
彼女は小包を僕に差し出した。
「良いの、貰っても?」
「うん」
包みを開ける。中には、エメラルドの指輪が入っていた。
あれから僕は、自分が心の底から表現したい色を見つけた。それをエルセレン氏に話すと、彼はとてもワクワクしていた。僕も久しぶりに真剣になれた。自分の中でこれからも表現したいこと。それを見つけることができた。それは、キーナのおかげだった。
式典の壇上に上がる。側には、満足げなエルセレン氏や共にこのプロジェクトを乗り越えた仲間たち。正面の席にはキーナがいる。僕は自信を持って声を出す。
「このタワーの色には、私が一番表現したいメッセージを持たせました。それは、緑です」
青空の下。完成したばかりのタワー。その色は僕とキーナを繋いだ、あのネックレスと同じ綺麗な緑色をしていた。
(完)