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厳しい環境の中にこそ、美しい暮らしがある これは極地建築家・村上祐資の信念だ。地球上で「極地」と呼ばれる場所は、牙をむいた自然が目の前に迫り、人を容易には寄せつけない。だが、そんなところでも人は暮らしを続けている。日本の南極観測隊はもう60年以上、雪と氷の地で暮らしをつなぎ続けてきた。富士山の山頂で観測を続ける人、あるいはヒマラヤのベースキャンプで登山家を見守る人たちもいる。村上はそんな場所に出かけては、もう1000日以上、暮らしてきた。建築家としての関心は、極地の暮らしのな
習慣は真似することができます。 それは言い換えると、「他人に伝えられる」ということです。こうした特徴を踏まえ、極地建築家の村上祐資さんは「習慣はコミュニケーションツール」と表現しています。 南極地域観測隊の基地で、ベテラン隊員の振る舞いから学ぶことが多かった経験から、「習慣は言葉以上に説得力を持って伝えられるコミュニケーションツールなのかもしれない」と考えるようになったという村上さん。 言語や世代の壁だけでなく、時空をも超えられるコミュニケーションツールとしての習慣につい
よかれと思ってはじめたにも関わらず、その習慣を続けていくことに苦しさを感じたことはありませんか? それはもしかすると「習慣」としてはじめたものが、いつの間にか「慣習」になってしまっているからなのかもしれません。 「習慣は、行き過ぎると強制力のある慣習になってしまいます」 そんな話をしてくれたのは、極地建築家の村上祐資さん。 南極やヒマラヤ、模擬火星環境など、極地での生活を通じて暮らしの根幹を探究してきた建築家です。 過酷な環境での生活経験がある方は、ストレス軽減やメン
今井 いよいよ村上さん今回で記念すべき100回目ですね 村上 そうですね、いよいよ迎えたなと思いますけど、僕はこのポッドキャストってものは初めてなんですけど、ラジオ番組は以前パーソナリティーとして3年ちょっと持たせていただいたことがあるので、こういうふうに話すのは違和感はなかったですけど、今井さんは初めての経験ですよね。 今井 はい、トークは不慣れで、それは100回やっても「変わらなかったこと」ですね・・・ 村上 変わらなかったですか(笑)。逆に変わったところというか、
19人の、支える人たち2021年3月から毎週続けてきたラジオネイティブがいよいよ100回をむかえようとしています。これまでに出ていただいたゲストは19人。特徴は、さまざまな地域やフィールドで活躍されていながら、その地域・フィールドの生活者ではなく、かつ、一時的にやってきた訪問者でもない。その間に立って、誰かと誰かをつなぐような、舞台裏で活躍する人たちだったと思います。多くのヒントから何を受け取ることができたのか、今の思いを2回にわたり、フィールドアシスタントの村上祐資と、この
不在の人も含めた街今井 前回からここ3回のシリーズの振り返りをしています。前回は、地域に根付いて暮らしていくにあたって、まず個が必要だという話と、暮らしていくためには仲間にあたるコミュニティーが必要という話にもなりました。このコミュニティーという言葉について、村上さんはどういうイメージを持っていますか。 村上 一般的にいえばコミュニティーっていうと、そこには社会、ソサエティーみたいな意味も裏にあるような気がしています。それなりの人数がいながらコミュニケーションをしているよう
土地の魅力を置き換えながら残していく今井 3回前からのゲストを振り返ると、石川県加賀市の大土町という人口1人という町に関わる映像作家の木村紀之さんにご登場いただきました。その後、ガラリと場所は変わって北海道白老町で彫刻家をされる国松希根太さんですね。1980年代から始まった飛生アートコミュニティーというところを拠点に制作活動されている方でした。同じ場所で、今、アートを中心としたコミュニティー作りをしている木野哲也さんに前回までお話を伺ったという流れでした。 村上 このお三方
なぜ人って歌を歌うんだろう今井 今回も北海道で文化芸術プロジェクト作りに関わる木野哲也さんにお話を伺います。今の木野さんのお仕事「アートディレクション」というのでしょうか、この仕事にどういうふうに行き着いたんでしょうか? 木野 さかのぼると、高校生ぐらいかもしれないですね。「こういうことやるぞ」って思ったわけじゃないんですけど、アートというか、文化事業だったり文化活動を仕掛けることが今は多いですけど、元々プレーヤーだったんですね。例えばパンクバンドをやってたり、ヒップホップ
森から町へ「降りていく」今井 今回も北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺います。これまでのお話の中で、飛生には本当にいろんな人たちがいろんな地域から集まってくるという話を伺ったんですけれども、飛生アートコミュニティーの活動が地元にはどう広がっているんでしょうか? 木野 きっと「飛生の活動をものすごく知ってます」っていう方はそんなに多い気はしてないです。でもこれまでにやってきたことが、メディアに載ったり、ずいぶん飛生に人が行ってるなとかという印象は
極地建築家・村上祐資は「暮らすとはどういうことか?」という問いを解きたい人である。南極観測隊やエベレスト登山隊、あるいは模擬火星生活実験の国際プロジェクトなどに参加し、いわゆる極地と呼ばれる環境で暮らしてみることを通じて、ぼくらの暮らしに「本当に必要なもの」を探し続けている。 村上の極地生活が始まったのは2008年。第50次日本南極地域観測隊に帯同し、約15カ月にわたってミッションスペシャリストとして地球物理観測に従事した。 極地の暮らしは、あらゆる無駄が削ぎ落とされた極
物事をつくるプロセスを知る今井 北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺っています。前回は北海道白老町の飛生にある芸術家のための共同アトリエの横で、森づくりをされているお話を伺ったんですけれども、木野さん自身はこの森に関わるようになって何か変化って感じていますか。 木野 そうですね。僕自身、これが変わったかなって思うのは、一つあげるとしたら飛生に出会うまでも、いわゆる文化芸術に関わったり立ち上げたり、仕掛けたりすることを札幌市内とか北海道でやってきた
放置された学校森に人を呼んだ今井 北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんをにお話を伺います。実は前回まで出ていただいた国松希根太さんとは飛生で一緒に活動されてると伺っています。 村上 実は前回出ていただいた国松さんと、今回出ていただく木野さんとは飛生アートコミュニティーで実際にお会いして、お話をさせてもらって、お酒もたくさん飲ませていただきました。アートコミュニティーっていういろんな人が集う場所が飛生を拠点にあって、代表は前回出ていただいた国松さんですけど、
写真のように写し取ることはしない今井 国松さんは今、どんな作品を制作中、あるいは展示中でしょうか? 国松 制作拠点にしている場所から見える風景みたいなもの、それが作品のヒントになっているというのがあって、主には水平線とか地平線ですとか、山でいうと稜線みたいな、ちょっと境界線になるような場所に引かれる部分があり、水平線や地平線を題材にしたHORIZONという平面作品のシリーズが一つあります。 あと立体彫刻だと、GLACIER MOUNTAINっていう、氷河の山っていうような
子どものころのように夢中に 今井 今回も北海道白老町で彫刻家として活動される国松希根太さんにお話を伺いたいと思います。これまで白老町の話をいろいろ伺ってきたんですけれども、国松さんの作品が生まれるまでにはどういうプロセスを経るのでしょうか。 国松 僕は主に彫刻ですとか、木の板を題材にしてそこに描く平面作品を作っています。プロセスというと、素材があったり、イメージがあると思うんですけど、それを形づくっていって、最後完成する流れなんですけども、昔はちゃんとスケッチをし、模型を作