コーチングの原点、『新・インナー・ゲーム』 を読みました

赤ちゃんも言葉で教えられて歩けるようになるわけではない(もちろん”語りがけ”などはあるとしても)。スポーツも言葉で教えられると、頭でっかちになり、本番で、練習で培ったパフォーマンスを存分に発揮できない。スポーツの世界は、心理戦だとか己との戦いだとか言うことがあるが、インナー・ゲームはまさにそのことについて深ぼっている。

著者のティモシー・ガルウェイがテニスコーチとして、プレイヤーには2つの自分がいることに気づき、それらをセルフ1とセルフ2と呼んだ。

コーチングの原点とも呼ばれる『インナー・ゲーム』だが、仕事の世界で何に活かせるのだろうか?

ところがある日、私自身が非常にリラックスした気分のとき、ふと気まぐれに、「言葉を減らして、もっとよく観察しよう」と思い立った。Saying less, noticing more だ。それが、インナー・ゲームの始まりになった。驚いたことに、私が口で指摘しないと、生徒はそのエラーを自分で修正し始めたのだ。
p34, 第1章 テニスのメンタル面の考察

コーチングとティーチングは異なる、ということはよく言われるが、言葉で説明したとしてもセルフ1が強くなりすぎて余計な思考がぐるぐるまわってしまい、言われたとおりに頑張らなければとなってしまったりするだろう。一方で自分自身でなぜ失敗したか、どうすれば成功するかを自分自身を観察することの方がより良い改善につながっていたりする。

コーチングとはコーチ自身が観察をすることであり、プレイヤーの観察を促すこと、であり、この感覚で教えるのではなく、促すコーチとしての感覚を掴むのにはスポーツの例から学ぶことは多いと思います。ただ、スポーツから仕事の世界への転化については、なかなかイメージしづらいこともあり、もう少し本書や関連書を読み込む必要があるかもしれません。

Bill Gatesが最近の生涯におけるお気に入りの本として『インナー・ゲーム』をあげており、その紹介記事では、自身の体験にインナー・ゲームでの学びが活かせたことを説明している。以下はその記事の一部をDeepLによる翻訳したものだ。

そして、いつも完璧というわけではありませんが、同じようにチームをマネジメントするように心がけています。例えば、数年前、マイクロソフト社のあるチームが、すでに店頭に出荷していたソフトにバグを発見したことがありました。(そのソフトを回収しなければならず、多大なコストがかかるというのです。私にそのことを告げたとき、彼らは本当に自分を責めていた。私は、「ディスクを交換する必要があることを認めてくれてうれしいよ。今日、あなたは大金を失った。明日は、もっとうまくやるんだ。そして、あのバグが製品に混入した原因を究明し、二度と同じことが起きないようにしよう」と言った。
https://www.gatesnotes.com/Books/The-Inner-Game-of-TennisからDeepL翻訳

つまり自らがコントロールできないアウター・ゲームに矛先を向けるのではなく、コントロールできる我々に目線を向け、改善を促すという感じだろうか。

最後にインナー・ゲームとは何かについてまとまった文章を引用して終えたいと思う。

 勝とうとだけ努力する者は、自分にはどうにもならない部分をも、心配しなければならない。勝つにせよ負けるにせよ、試合の結果は自分の脳力や努力だけでなく、相手の能力や努力によって決まる体。自分の外側のゲーム要素に身を委ねることになる。勝ちたいという気持ちが強くなるほど、自分以外の要素が気になり、不安や雑念に支配され、頑張りすぎ、すなわち「力み」が出る。
(中略)
インナー・ゲームはこのように、瞬間、瞬間を「今、ここで」に集中し、自分自身に自然の力を発揮させ、真の勝利や敗北を体験するゲームなのだ。最後に一つ、警告しておかなくてはならない。ローマは一日にして成らず、と言われてきた。私もその言葉に嘘はないと信じているが、逆も真とは、言い切れない。すなわち、多大な努力をすれば、必ず大事が達成できるとは、限らない。
p256, 第9章 競技の意味

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