明治維新150年記念式典はだれのため

 明治維新150年記念式典はだれのために行われたのであろうか。政府は、天皇、皇后両陛下に出席を促すこともなかった。

https://www.asahi.com/articles/ASLBR35NBLBRULFA002.html
政府が明治維新150年を祝う式典 天皇陛下は出席せず
佐藤栄作内閣のもとで開かれた明治100年式典の際は、昭和天皇と香淳皇后が出席したが、今回天皇、皇后両陛下は出席しなかった。宮内庁は「政府からお声がけがなかった」(西村泰彦次長)としている。共産党は「明治150年の前半は侵略戦争と植民地支配に向かった負の歴史。丸ごと祝い、肯定するような行事には参加できない」(小池晃書記局長)として欠席した。

 天皇、皇后両陛下の参加しない明治維新150年記念式典は、政治的な利用を目的としている、とみなされても文句は言えないであろう。

 幕末には、尊王攘夷派が、それまで日本を朝廷から権限を与えられ統治していた徳川幕府にテロ攻撃を加えることで政府転覆をもくろみ、それに対し幕府側は、京都では新選組などの組織によって、テロリストである尊王攘夷派を取り締まっていた。

 明治維新は、中央政府から疎外された地域の武装勢力が反旗を翻し、中央政府を賊軍とするために、朝廷を取り込み、中央政府の権限を奪い取り、一種の軍事クーデーターによってなされたものと考えることができる。

 そもそも、初代総理大臣である伊藤博文のことを日本国民の多くはよく知らない。なぜなのだろうか。伊藤博文をよく知ることは、日本の暗部を知ることになるからだろうか。

 国会議事堂には、伊藤博文の銅像がある。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/3.html
国会議事堂案内 中央広間:参議院
中央広間には、議会政治の基礎を作るために功労のあった板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像があります。これは、昭和13年(1938年)に大日本帝国憲法発布50年を記念して作られました。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/sisetu.htm
国会施設案内
中央広間
中央玄関を入ると、中央塔の真下に当たる所に中央広間があります。4階吹抜きで、上方から光線を入れており、窓と天井にはステンドグラスがはめこまれています。その広さは267.65平方メートル、天井までの高さは32.62メートルあります。この広間には、議会政治確立に功労のあった伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が三方に立っています。

 1985年の日韓国交正常化20周年では、安倍晋三首相の父親である安倍晋太郎外務大臣が談話を発表している。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1986/s61-shiryou-214.htm
(14)日韓国交正常化20周年についての安倍外務大臣談話
(1985年12月17日)
1.日韓国交正常化20周年を迎えるにあたり,日韓両国の国民の皆様と共に心からこれを喜びたいと思う。
2.顧みれば,20年前の1965年12月18日,日韓基本関係条約が発効し,両国の国交正常化が成し遂げられた。これは,永遠の日韓友好を願う両国関係者の努力により,10数年に及ぶ困難な交渉を経て結実に至ったものである。それ以来,日韓関係は着実に発展してきたが,その間両国の交流は単に政府レベルのみならず,貿易,経済,文化を含む国民各層にわたる極めて幅広いものへと発展しており,また,最近では歴史的な両国首脳相互訪問も実現し,日韓両国の善隣友好協力関係がかってないほど強固かつ成熟したものとなってきていることは誠に喜ばしい。
3.20年にわたる両国の歴史の中で,種々問題が生じたこともあったが,これらの問題は,国交正常化交渉において発揮された日韓双方の誠意と努力の精神により,その都度克服されてきた。日韓の友好関係は,20年の歴史を経て一層たくましく鍛えられたと言えよう。
4.また,過去20年の間に韓国が未曽有の発展をとげ,1988年にはオリンピックを開催するなど国際社会において確固たる地位を占めるに至っていることは,誠に慶賀にたえない。同時に,南北対話に対して積極的かつ真摯に取り組むなど,朝鮮半島の緊張緩和に向けた韓国の努力に敬意を表するとともに,これを引き続き支持するものである。
5.我が国としては,国交正常化20周年を機に,これまで築かれてきた良好な日韓関係を,目前に迫った21世紀に向け,更に成熟した,かつ,真の友邦としての関係に発展させていくべく決意を新たにする次第である。

 この翌年には、伊藤博文が肖像の千円札は廃止される。

https://www.npb.go.jp/ja/intro/faq/use.html
独立行政法人国立印刷局 - 現在でも使えるお札
C千円券
肖像 伊藤博文
寸法 縦76mm、横164mm
発行開始日 記番号が黒色:昭和38(1963)年11月1日
記番号が青色:昭和51(1976)年7月1日
支払停止日 昭和61(1986)年1月4日

 これは、日本が朝鮮半島を支配した歴史の上で、初代統監が伊藤博文だったことと大きく関係していると推測することができる。

https://www.jacar.go.jp/glossary/term2/0050-0020-0010-0010.html
韓国統監|アジ歴グロッサリー
韓国統監府の長官。1905年11月17日の第二次日韓協約と同年12月20日の「統監府及理事庁官制」により設置された。

初代統監
伊藤博文

 もし、明治を振り返るとすれば、初代総理大臣であり、初代韓国統監でもあり、国会議事堂には銅像まである伊藤博文のことを日本国民に周知する必要があるのではないのかと考えずにはいられない。


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