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#18 架空鉄道、詳しくなくてもいいー「娯楽の哲学化」を受けて

突然ですが、趣味というのはマウントの取り合いになることが多いです。消費した金額、ファン歴、愛などなど…

鉄道や地理のマニアの間では詳しさが求められる傾向にあります。それは、「間違った」内容で語られた投稿や、最近の注目ポイントで盛り上がる人に対する「昔は当たり前だった」などといった投稿への引用リポストやリプライ欄で見られます。

現実でも、185系について詳しくなくても特急踊り子の魅力はわかるはずなのですが…


さて、架空鉄道はそんなマウント合戦とは無縁です。厳密に言えば、「自分の思想を反映して、持ってる得意分野の知識の中で自由に作り上げる限りにおいて」なのですが…

Tanukipediaという「空想世界をメインテーマとするウィキサイト」に、「娯楽の哲学化」という面白い概念が紹介されていました。


記事内で簡略化された説明を引用させていただくと、

1. 面白いと思った人が始める
2. 技術が上がる
3. 高度に体系化され、難易度が上がる
4. 新参の参入が難しくなる

という過程を指すそうです。

また架空世界創作における発生と題し、高度に体系化されることで創作の難易度が上がり、人から理解されにくいもの、新参の参入が難しいものになってしまう問題点を指摘しています。

さて、架空鉄道は構想自体は非常に容易なものの、こだわるとキリがない難儀な趣味です。
鉄道が好きな子供であれば、画用紙に電車の絵を描いたり、小学校高学年くらいから路線図や停車駅表を落書きするようになるのではないでしょうか。
鉄道が好きだから描くという手癖と、好きだから調べるという好奇心が結びつくと、自分の好きを詰め込んだ鉄道を自作し始めます。架空鉄道の始まりはこんなに気軽なものです。

しかしXで架空鉄道を調べると、デジタルソフトを用いて3Dモデルの車両を制作したり、本物の鉄道路線さながらの路線図を作りあげるなど、ハイクオリティなビジュアルを見ることができます。また技術面でも、運転曲線や信号などからこだわってダイヤを作ろうとする人もいます。

つまり、ネット上に転がっている架空鉄道は、全体的に見て高度化しています。そのため架空鉄道を作ろうとしても、ビジュアル面でクオリティの差を感じ、リアリティという点では冒頭で触れた通り、詳しさ・正しさの「警察」に怯えることになります。

しかしnoteやXで伝えているように、架空鉄道は本来自由なものであり、変わりゆく現実の鉄道で疲弊しないための手段として有用なものです。
したがって誰しも気軽に、作りたいものを作るべきなのです。

冒頭で、架空鉄道は「自分の思想を反映して、持ってる得意分野の知識の中で自由に作り上げる限りにおいて」マウント合戦とは無縁な趣味と書きました。
周りの架空鉄道作者やそれ以外の鉄道マニアより知識量で劣っていても、鉄道の好きな部分(思想)を大事にして、自分が出来る範囲を意識して作れば、納得のいく作品が作れるはずです。
好きなものを反映しなければ架空鉄道を作る意味が薄く、出来る範囲を意識せず知識量で他を羨むと満足度、モチベーションが下がります。

コツは、知識の得意分野を見つけることです。Xで周りが触れていないが、自分が感じている鉄道の特徴や魅力、周りがやっていないこだわりは、競争になりにくいからです。そしてそうした得意分野は、概して自分の好きなものであるはずです。
完璧主義でない人は、積極的に妥協していってもいいと思います。

私は地理の知識に乏しく地図のリアリティに欠け、車両の制作も苦手なのでサボっていて、ダイヤも加速度や減速度はなんとなく、カーブや勾配は無視で作っています。
その代わり、広大な土地を利用した長距離列車の理想郷と、全国に路線網をもつ鉄道(全国鉄道=AR、日本でいうJR)は少し古くさくて若干使いにくい、平成初期の時刻表を開いたようなダイヤを目指しています(平成初期を知らないので、あくまで想像です)。

パターンダイヤだけれど間隔がマチマチな、私の架空鉄道路線の一つ、AR古賀宮線鷹野駅の下り駅時刻表(9割完成)
古賀宮線のダイヤグラム(抜粋)通勤電車も特急電車も加減速は同じ。
地図(赤線が古賀宮線)。制作上の都合で見づらいです。

ぜひ、自分にとって高度な架空鉄道、つまりは理想の鉄道を、自分の好きに作っていきましょう!

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