#9 架空地図の住民、架空鉄道の利用者
架空地図には現実の住民はいませんし、架空鉄道には現実の利用者はいません。
しかし、町が存在し、鉄道が走るということは、そこに人がいるに違いありません。
(貨物線は…というツッコミが来るかもしれませんが、貨物も人がいるから運ぶ必要があるのです)
つまり、架空鉄道等は、架空の住民、架空の利用者の存在を前提としているのです。
(現に人のいない架空のゴーストタウンや廃村も、過去の住民を前提とするものです)
彼ら彼女ら架空の世界の人間は、架空鉄道等の架空創作における情報になり、物語の一部となります。
情報についてはこちらを
物語についてはこちらを参考にしてください。
架空創作をするうえで、本筋とは関係のない住民や利用者の生活をも想像することは、その架空創作の解像度を上げる作業になりえます。
○○学園前駅の由来になった○○学園は、幼稚園から大学まで設置して、裕福な子どもが一貫教育を受ける一方、大学の偏差値は低い。
△△ライナーは大人気のため、駅にはライナーセット券を求めて家族が代わりに窓口に並んで購入する。
××市はもともと漁師が多く住んでおり彼らは朝早く行動するため、朝早くから銭湯が開いていたり、朝市が盛んだったりする。
といった具合です。
書いてて思いましたが、これは都市地図を描いたり路線図を構想したりするうえでは作品のビジュアルに関係のない作業であり、人によっては重要性がほとんど感じられない気がします。
架空創作の世界像を煮詰めるというのは、ミクロ派⇔マクロ派と対比させたように、ビジュアル派と対をなす創作上の流儀になるのではないでしょうか。
個人的には人間ありきの地図や鉄道だと思っているので、世界像の記述は行っていきたいですし、架空創作を何の気なしに行っていた人に、人物を配置してもらって世界像をはっきりさせ、リアリティを持たせ、架空創作を現実の代わりの心の慰みに出来る人が増えてくればいいなと思っています。
(もちろん、ビジュアル面のリアルさを高めて現実を上回る面白さとすることも可能だと思います)