メモ

 ハン・ガン『別れを告げない』を読みながら思ったことをメモ。公開用というより覚え書き。
 どうもある種の小説家は、リーダビリティを取るか「主題(音楽的な意味での)」の発展と構造的展開を取るか、という発想がないようだ。彼らの小説の読みにくさはそこに起因する。
 もちろんそれは個々の小説家の、個々の小説に対するコンストラクションへの考え方に依るのだが、系譜をたどれないことはないように思える。ハン・ガンの前には中上健次が、その前には大江健三郎が、その前にはフォークナーがいたのだろう。そしてこの起源をずっと遡ると、どうもスターン『トリストラム・シャンディ』に至るのではないかという気がする。
 いずれの作家も読みにくく、「高度な文学」のイメージを持たれやすい。だがいずれの小説家も自分を高尚な物書きだとは思っていなかったはずだ。(文学には可能性がある、とは考えていただろうけれど)。つまり彼らには、最初から主題の発展とリーダビリティという二者択一(?)がなかった。そういう発想がなかったのだ。
 小説にとって「音楽的な意味での主題」とは何か、については、また改めて文章にする必要があるだろう。

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