自己カウンセリングについて。
その昔、10代から20代の半ばまで、心理カウンセラーになりたいと思っていた。私自身、若い頃はすごく悩みが多くて、煩悩の塊だった。けれど、詩を書いていたから、常に自己とは向き合っていた。少なくとも、詩を書いていない人たちと比べたらだけれど。悩みにぶち当たった時に、私はまず、自分自身に問いかける。解決するために、何が必要なのか、私は本当は何がしたいのか。とことんまで自分に問いかける。自己との対話。更にそれをノートにまとめる。詩と日記、日記と詩の中間のようなものだが、聴こえてくる自己の声、感じていることをそのままにありのままに書いていく。そうして見えてきたものが、答えのひとつになる。それを見つけたら、それに向かい行動する。もちろん、それがいつも成功するわけではない。失敗するときもあるけれど、諦めずに、辛抱強く続けていく。
日記を書くということを習慣にするということは、とてもよい、最良の心理療法だと私は考える。だから、音楽療法や絵を描いたり、手芸や陶芸、園芸等が精神疾患治療専門のデイケアにはあるが、なぜもっと、ものを書いて自己表現する心理療法がないのかと不思議に思う。たとえば詩を書いて、それを朗読しあったり、文学について語るのも良い。もっとも、精神疾患にかかってすぐの間は、詩を書いたり、本を読んだり、良い意味でも悪い意味でも心に刺激を与えることは「良くないこと」と制限されることもあるが、ある程度疾患が落ち着き、寛解してきたら、私はもっと、心の中を曝け出すことも必要だと考える。とりわけ日本は、何故そういったことを「異常」だと極めつけ、排除するのだろうか。
昭和生まれ昭和育ちの私の母親は、文学愛好家や、小説家、詩人などものを書く人々を「変り者」「変人」と揶揄してきた。今でもそうだ。仕事する傍ら、詩を書いて生きていくと宣言したとき、母は、「何故だ!まともになれ!子供なんか産まなきゃ良かった!!」等と号泣した。今でも覚えている。
話を戻そう。
自己カウンセリングの必要性だが、私は、今の現代はTwitterや、こうしたnoteやFacebookなど、つぶやきや日記を書くことができるSNSツールがたくさんあるから、もう誰もが知らないうちに、自然と自己カウンセリングをしているのではないかと思う。
それに共感してくれる人がたくさんいればいるほど、自分に自信が持てるようになる。もちろん、その逆も懸念しなければならない。敢えて真剣に考えなくてはならないのがその問題だが。
また、ポジティブ思考やネガティブ思考とは、遺伝的なものもあるが、ポジティブのなかのネガティブさや、ネガティブのなかのポジティブさを自分なりにしっかりと見極め、見つめ、どこのテキストにも書かれていない「自分思考」というものを持つことが大切だと、私はいつも考えている。
「自分思考」。プラスマイナス関係ない、常にバロメーターは0のナチュラル思考。