詩人の魂、生きる力。

昨日、詩人で私の同志である死紺亭柳竹さんに高田馬場でお会いした。彼がCDを出して、私が詩集を出したので、お互いのものを買い合った。死紺亭さんは、凄くパワーにあふれた方だ。私は彼を17年前から知っているが、今でも変わらない詩人界の兄貴・死紺亭柳竹だった。

私は早速、CDを聴いた。
凄い…炸裂しまくる死紺亭節。力強い朗読とシャウト。観客すべてを巻き込む引力。素晴らしい。
私は思わず、痺れてしまった。

詩を書いている人は、書き始めた人は、多分一度は皆、朗読を経験しているのではないだろうか。私も詩を書いて17年だが、最初は朗読から入った。朗読とは、声、身体、魂、すべてで表現する芸術だ。

詩作とは、「書く」という行為の前に、声に出して表現することから始まるような気がする。私自身も、朗読をしていなかったら、ここまで詩を書いていなかっただろう。魂を込めるというのは、声や身体で表現することだ。

死紺亭さんの朗読には、魂が詰まっている。
私は40年も生きてきて、死紺亭柳竹という詩人に出会えたことを心から幸せに思う。

「喜劇王」というのは、言わずと知れずチャーリー・チャップリンのことだが、私は死紺亭さんは間違いなく詩人界の次世代の喜劇王になるのではないかと思う。いや、もう彼は立派な喜劇王だ。

声を発するという行為は、人間が生きる上で最も大切なことで、お年寄りが集まって世間話をしたり、カラオケを歌ったりすることは長寿にも繋がる。
そして、笑うこと。これは重要。私は笑うことと共に生きる人には長生きをしてほしい。
私は時代を超えて、死紺亭さんの朗読は受け継がれてほしいと願う。

朗読は魂、魂は生きる力だと、渾身の力で人の心に届ける、死紺亭柳竹の朗読が、日本中に響き渡るように。

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