"多様性"という言葉が憎い
従兄弟が高校中退して
叔母が10キロやせた
それでも祖母は「学校へ行かせた方がいい。通常のレールから外れるな」と
想像力がないやつが嫌いだ
うちは共働きで
祖母が家事を行なう
それでも祖母は「お母さんは家にいるべきだ」と
想像力がないやつが嫌いだ
「何で不機嫌なの」よりも
「これがいやだった?」と聞いてくれる君は
想像力が豊かで
「分かったなんて気軽に言えないけどさ」から始める君は
理解と共感を区別できていて
なんて想像力が豊かなんだ
「まあ、いろいろあるよね」と受け流す彼は
いつも受け止めるフリをする
「みんな違ってみんないい」「diversity&inclusion」が好きな
彼の言葉は私を傷つける
LGBT+Q,ジェンダー,etc...
私は理解があるよ、という寄り添う態度は
無関心よりも残酷だ
「理解しなくては、」という気持ちは
なんて傲慢で
私たちをほっといてくれないのか
多様性とは、誰かの靴を履くこと(ブレイディみかこ「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」)
多様性とは、自分の想像力の限界を突きつけられる言葉だ(朝井リョウ「正欲」)
多様性とは、
私とあなたは違うけど
私の家とあなたの家は違うけど
私の国とあなたの国は違うけど
違ってもいいんだと思えること
多様性とは
あなたを認めること
あなたの尊厳を尊重すること
あなたを敬意とともに接すること
私は、私で生きていたいし
私は、今日も生きていたいし
私は、私でありたいし
誰もがそう願っている