人の可能性を信じる
母には「ふみならできると信じてるよ」と背中を押してもらった。
受験も部活も。何かに挑戦するたびに。
「おまえに期待してる。頼む」と送り出されたバーターボックス。
打てなかった時の監督の顔を見るのは好きではなかった。
「私はあなたを信じている」という言葉は人を安心させる。
すべてを認めてもらい抱擁されている気になるのだ。
「あなたに期待しているわ」という言葉は少しプレッシャーがかかる。
結果を求められている気になるのだ。
「信じる」と「期待」は似ている。
期待とは
あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
期待は結果が求められる。
「期待に応える」「期待を裏切る」という言葉があるように。
例えば、
何かプレゼントを相手に渡したとする。
相手からも返ってくることを"期待"する。
返ってこないと相当落ち込む。
例えば、
子供に対して「立派な大人になって欲しい」
「いい大学に入っていい企業に就職して欲しい」という"期待"する。
期待するから、うまくいかないと「どうして??」と気持ちも生まれる。
信じるとは
真実である、また、正しいと思う。信用する。信頼する。
ベネッセ国語辞典
信じるは、たとえ結果がどうであっても揺るがない。無条件にある確信。
結果は関係ない。
『走れメロス』にて、友人はメロスを"信じて"いた。
思うに、
期待とは相手を50%くらい信じている。
信じるとは相手を100%信じている。と思う。
芦田まなは、言っていた。
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」 映画「星の子」完成報告イベントにて
僕らは、
誰かに信じてもらいたい。
受け入れられたい。
存在を認めてもらいたい。
純度100%で
「生きてるだけでいいよ」と言われたい。
私は、
親のいうことを素直に聞いて、「良い」と言われるものを集めていた。
地方の公立高校から頑張って大学にきた私は、特にこれといえる強みもなかった。
そんな自分に焦っていた。
思うに、何者かでありたい自分に"期待"していたのだろう。
けども、そんなもんどうでもよくなった。
「自分は自分で、それ以上でも以下でもない」と自分を認めてあげた。
もうそれだけで充分だった。
就活は、合否がはっきりと出る。一喜一憂もする。
けども、自分の存在を認めてあげていたから、自分は自分でいられた。
「私は私の可能性を信じた」
僕らは何者にでもなれる。
だってまだ22そこそこだよ。
ふつーだった人が変わっていく様子を実感したこともある。
自分自身がそうだったように。
「期待」ではなく、「信じる」ことによって。
結果を求めるのではなく、認めることによって。
だから、私は今日も人の可能性を信じ続ける。