傲慢という武器
最近のわたしのホットトピックが「傲慢さ」
傲慢と善良という本を読んでから自分がいかに傲慢な人間であるかを考えさせられたと共に
周りにもどれほどの傲慢さが蔓延っているのか、にハッと気付かされた。
そして、あれやこれやと悶々と考えてるうちに、
傲慢さというアンテナがビンビン感度を増して
一見「善良」というベールを被っているけど、
傲慢さを腹に隠し、殴りつけてくる言葉を見つけた。
その一つが「傷ついた」
よく使われるこれ、
「わたし、あの人のあの言葉に傷ついた。泣」
この言葉を使うあの子には「可哀想だ」「不憫だ」と思って同情にも近く優しくしてきたけど、
あまりに強火な傲慢さを孕んでないか?
放った瞬間圧倒的被害者になれるこの言葉、
完全に言ったもん勝ちなチートだからずるい。
傷ついたという言葉は同じように相手を傷つけているのに。
そういえば、オードリーの若林が『一瞬で自分が被害者になれる言葉使うやつ嫌いなんだよね』って言ってたな、
そしてもう一つがこれ、
「信頼している」
大袈裟に言うと「お前は裏切らないよな?」みたいな脅迫じみた味がしないか?
ありのままの私を受け入れて欲しいという傲慢さを強く感じる。
しかもある程度の距離感にいる人にしか使わないからこそ怖い。
コンフォートゾーンの内側から刺された傷は重傷だよ。
こんなこと書いている自分もたいそう傲慢な人間であることは間違いないが、それに気づいているだけ多少扱えているのではないか?
でも何よりの傲慢さを裏付けるのはこんな傲慢な私のことを私自身が気に入っていると言う事実かも、
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