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この記事は元日のうちに投稿されます

 地元から離れて、といっても新幹線で2時間とかからず帰れる程度の距離でアメリカ文学の大学院生をしている。そして年末久々に帰ってきた実家でこの記事を書いている。年末年始でシワの伸びきった脳みそのリハビリのために、とりあえず箇条書きでこちらに帰ってきてからのことをしたためたい。

・父から「シロの研究室に留学生はいるか?」と聞かれ、英語を母国語とする人もいると答えたら驚いていた。なぜ日本で英語の勉強をするんだと。いや私たちがやってるのは確かにアメリカ文学であって英語でそれをするわけだけど、あくまで英語はツールだよ。あと、海外で国文学を研究している日本人もいるよ。という話をしたがいまいち伝わっていないようだった。

・今年は控えめな親戚の集まりだったが話題は変わらない、むしろ少しづつ深刻になっているかもしれない。「金」である。金のことは気にせず若い人間には好きなことをやってほしい、という親戚らの意向は大変にありがたいものだが、やはり私に対する認識は「我々には理解できない小難しいことを好んでやっている変わり者」であるらしく、このままではどうにも自分が "老人らがよく分からないのをいいことにことば巧みに投資させ続ける悪徳証券マン" であるように思われて気分が悪い。「私」ではなく「文学者」に投資してほしいのだが…これについてはもう少し文学者としての業績をあげてから声をあげようと思う。私が好んでやっていることにはもちろん変わりないが、文学に投資することは社会の未来に投資することであると説得できるだけの知識と器とそれから業績。みんな違ってみんなほしいのだ。

・上記にも関わることだが、文学初学者に対して「文学とは何か」を説く本は数多くあるものの「文学者が文学未学者に対して『文学とは何か』を説く方法」を説く本はきかない。めちゃくちゃほしい。「文学とは何か」の説明が求められる場面は想像以上に多く、なんらかのフォーマットがなければなかなかに骨が折れる。文学に対して未学者が興味を持ってくれる状況自体は未熟な文学者である私からしても嬉しいことなのだが、未熟ゆえにどうも相手が欲するところの「文学」を提示してやるということが難しいのだ。多くの場合その相手がその段階で抱いている「文学」への偏見を解くところからがスタートであり、その偏見にも程度や方向性があるため、こう…Yes/No チャートのようなものを作ってそれぞれのタイプの人間がひとまず納得できるような答えがその先にあるようなプログラムなんかがあれば面白いかもしれない。

・格付けチェック、社会実験としてみたらめちゃくちゃ面白いんじゃないかと妄想する。その道のプロではない人間が「なんとなくこれがいい」と思うものを二択から選ぶ。毎年やっているわけだから、相当な数の対象物、人間のサンプルがあるはずだ。これをデータ化して分析すればこの「なんとなく」がどういった指標に基づいているのかが "なんとなく" わかる気がする。観ている限り、特にダンスや演奏のような表現は「どれだけ感情が揺さぶられるか」(ex. 踊りたくなるような)=技量 と考えられがちらしい。これ、おそらく文学作品の評価(解釈)法の考え方にも応用できるかもしれない。どれだけ心が動かされるか、これはどれだけ「共感できるか」に繋がり得る。もちろんそれが評価基準となったらあまりにも個人の主観によることになり文学界隈は大変なことになるのだが、娯楽小説、大衆小説として考えるとどうか?そもそもそうした小説群と文学作品を分け隔てるものは何か?詰めていくと面白そうだ。多分この辺を論じたものは古くからあるだろうし。

 他にもいろいろと考えたことはあったのだがひとまずはこんな感じで。今年はとにかくアウトプットする年にしたく、そのげんを担ぐ意味も兼ねてこの記事はこの日のうちに投稿することとしたい。

よろしくお願いします。