行動する勇気はどこから来るのか?
行動する勇気はどこから来るのか?それについて考えてみました。
疲れすぎて何にも考えられないとか、もう動けないくらいへとへと、というときは脇に置いておいて、あんまり考えなくても行動できる時とできないときは何が自分の中で違うのか。
行動できない人が行動できるようになるためには何が必要なのか。
そんなことを考察してみます。
というのも、私自身がとってもナマケモノだから・・・
やらない理由なんて無限に出てきますよね。
私が行動できる時、以下3つの理由が主にあります。
3つそろうとさくさく動けるので、いつもそうだといいなぁ。
行動できる理由①:シンプルにやりたいから
これがやっぱり最強かなと思います。
やること自体が自分にとって快である。
だから、やりたい。頑張れるし、続けられる。
自分にやりたいかやりたくないか問いかけて、即答できるものがここに該当します。
ワクワクすること。
心躍るもの。
好きで好きで仕方のないもの。
スキスキまでいかなくても、自然に負担なくできるもの。
私にとってはジャンルは選ぶものの、本を読むとか、子どもの頃に好きだったものはここに入りやすい気がします。
後は大人になってから始めたヨガとか体を動かすこともそうかな。
どうしてもやりたくないものは、絶対やりたいことをご褒美にくっつけるということもたまにします。
どんなときも『やること自体が楽しい』というものは、行動しやすく一時的に止まっても再開しやすいように思います。
行動できる理由②:自分のソース(源)と繋がっている
ここでいうソース(源)とは、行動原理や目的や欲求を指します。
大きな目的だったり、自分を突き動かすもの。
愛とか理想とか。
かといって別に高尚な目的でなくても、お金がほしいとかモテたいみたいなものも全然OK!
でも自分の気持ちに正直にいることが求められるのだろうと思います。
こうあらねばならない、とか、役割意識が強くなったり、人から押し付けられたものをこなしていくだけだと途端にソースからのエネルギーは枯渇していくような気がしています。
成功している人ってみんな例外なく行動量が多いですが、見ていて自分の欲求に素直な人が多い。
いつもきれいごとばっかり言って生きていると、どんどん生命エネルギーは減っていくし、行動できるエネルギーも結果的に減ってしまうような。
今の日本全体がなんだか元気がないように見えるのは、みんな正解を探してこじんまり生きて、欲望を持たない生き方が推奨されているからかもしれません。
行動できる理由③:応援してくれる存在がある
やっぱり誰か見ていてくれる人がいる、応援してくれる気がする、反応を返してくれる存在というのは非常にありがたいです。
観察者効果は侮れない!
心理学上の観察者効果とは、いわゆる『人が自分のことを見ているといいう意識があるとき、その行動やパフォーマンスが変化する事象』のことを指します。
量子力学でも似たような現象である観測者効果は認められていますよね。
有名な観察効果として、ピグマリオン効果とかホーソン効果とかいろいろありますが、やっぱり見られているというのは行動原理として大きいように思います。
自意識ともかかわってくるのであまり人目を気にして行動するのもどうかと思いますが、やっぱり見てもらうこと、応援してもらっているのって嬉しいです。
赤ちゃんでもハイハイして振り返ったとき、ママやパパがいて笑ってくれるととってもいいお顔をします。
あれが人間の原体験になっていくのかな。
応援してもらえるのは、とっても元気が出ます。
私がnoteを続けられている理由の一つでもあります。
行動できないときは…
組み合わせていくというのは一つの手かもしれません。
好きなことを組み合わせる、自分が本当にやりたいことなのか考えてみる(→やらなくて困らないことはやめる)、応援してくれる人を見つける。
いつも上手くいくとも限らないけれど、十分休んだら、この3つがあればきっと行動できるような気がします。
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好き!とか楽しい!気持ちが減っていくと人間は力がでなくなるんだな、とサバティカルタイムに入ってだいぶのんびりしてから、ようやく実感を伴ってわかるようになりました。
会社員時代は結構無理していて、スキがわからなくなっていたような気もします。
スキがわからなくなるまで他のことを優先したり、ずっと義務感ばかりで走り続けるとそれは好きなものわかりにくくなっても仕方ないでしょう。
とある研修で、長期的に走り続けるためには先に楽しみを見つけて予定を作っておく必要があるよ、と言われてきました。
自分のメンテナンスだけじゃなくて、本当に心待ちにできる楽しみ。
なんかそれってあんまりないなーと当時切なく思ったことを思い出します。
読んでくださってありがとうございました。