見出し画像

フライヤーと都知事選

今日は最近1番の猛暑日、灼熱の太陽により
ジリジリ熱されたコンクリート。
熱気が目に見えるんじゃないかというぐらい
空気がどよんとしている。

そんな中大学生が行き交う交差点で今日もまた
新たな団体がフライヤーを配っている。

選挙、献血、イベント、宗教、政治、、、。

7日が東京都知事選の投票日ということで各代表を支持する方々が入れ替わり立ち替わりでフライヤーを配る。

毎回これをもらうかどうか非常に悩む。
特に交差点で信号が青になるのを待っている時。
近くまで渡しに来てくださったときはもらうけれどそれ以外は基本貰わないようにしている。

なぜ貰わないようにしているかというと家に帰ると結局あまり見ずにゴミになってしまうからだ。

自分で個展をやってみて分かったけれどいつも配られているような綺麗な紙でカラー印刷するには結構お金がかかる。

このお金、もったいないなと思ってしまう。
大量に印刷されているから一枚の単価は低いんだろうけれど。

こうして作られたものをあまり見ずにすぐ捨ててしまうのは非常に心苦しい。

かと言って置いておくのもあれなので結局さようならする。

この紙に対する申し訳なさからもらうのを避ける傾向にある。

しかしこれが私の不思議なところなのだが各国で
スーパーのチラシを持って帰ってきたり、ご当地のパン屋さんなどに置いてあるフリーペーパーは渡されなくても自ら率先して取ってしまう。

おそらく自分の興味の問題なのかもしれないけれど。

街頭で紙を配ることで確かに手に取ってみると
情報が載っているので興味がなかった人も自然に
その話題に触れることになる。

非常に良い手段だと思うのだが、どうしても困ってしまう。

配っている方々は一生懸命で、どうかもらってくださいという目線だ。

この暑い中誰だって何時間も声を張り上げながら外に立ちたくはないだろう。

しかしそれをしていて、どうか意識を向けて欲しいと叫ぶ彼らはまさに勇者だと思う。

しかしどうかフライヤーを手に取ってくれという
懇願の目だけは勘弁して欲しいと思ってしまう。

もし私が活動するとしたらフライヤーは配らずQRコードの書いてある紙を掲げて大声で叫び
近くに少しの部数の紙をおき興味のある人がとっていくという形を取ると思われる。

それだと取っていってくれる人もいないし、立ち止まってくれる人もいないから今のような形がとられているということは重々承知している。

しかし宿題と同じように言われるとやりたくなくなる、求められると逃げたくなるという思考がどうしても働いてしまう。

これに関してはティッシュ配りも該当する。

ティッシュが配られることはこちらとしても非常にありがたいのだがこれがゴミとして消費されること、ティッシュを作るためのお金を別のところに回すことはできないかと考えてしまう。

私のケチさと微妙な環境意識によって暑い中必死にフライヤーやティッシュを配る方々の目の前をぺこりとしながら通りすぎるのは本当に心苦しい。

フライヤーは手に取らないし、私は東京に住んでいるのにも関わらず住民票が静岡の地元にあるために投票権もないのだがとりあえず各代表の選挙公約には目を通そうと思う。

暑い中配ってくださる方々、フライヤーは受け取っていませんが気持ちはしっかりと受け取っています。

そういう歩行者もちゃんといます。



いいなと思ったら応援しよう!