竹中稲荷神社(京都市左京区)に迷い込む
今晩わ、唐崎夜雨です。
昨日の吉田神社参拝の記事の続きです。
吉田山の東側に竹中稲荷神社があります。古くから吉田山に鎮座する神社ですが、現在は吉田神社の末社となっています。
大元宮の南の通りを東に向かうと左手に竹中稲荷の鳥居が建ちます。そこから、赤い鳥居がいくつもあるまっすぐな参道が続く。約200m。
左側は吉田山の樹林が続き、右手には住宅が並び、ここが少し高台に位置しているのがうかがえる。
赤い鳥居の長い参道を抜けて神社境内へ。青葉の美しい境内だ。
数段の石段の上に竹中稲荷神社がある。稲荷神社の向かって左側には天満宮が控える。
竹中稲荷神社の御祭神は
宇賀御魂神
猿田彦神
天鈿女神
隣の天満宮はもちろん菅原道真公が祀られている。
神社の左手は吉田山の森だが、右手は開けているので境内は明るい。
石段の手前にはいくつかの小さな神社が建っている。せっかくなのでご挨拶をしていきましょう。
まずは向かって右側に小さな祠が二つ並ぶ。
竹春大神と竹丸大神とある。
申し訳ないが、どちらが竹春さまで、どちらが竹丸さまか失念。
さらに、ちょっと存じ上げない神さまである。
その竹春と竹丸の名から察するに、ご本殿の竹中稲荷さまと何か関係のある神さまかと思われる。
その脇には若竹大神と記されている。
この流れからだとご本殿竹中稲荷つまり竹中大神の若君だろうか。
ゆえに若竹大神。あくまでも推測ですがね。
これらがご本殿の右手東側にいらっしゃる神々であり、
次はご本殿の左手西側にいらっしゃる神々をご紹介。
こちらは鳥居の先に、壇の上に神の名が刻まれている石が鎮座する。たしか竹光大神と竹藤大神だったかしら。
さらに鳥居はなく、基壇上に石が置かれている神さまたちもいらっしゃる。
向かって右側が白玉大神と吉成飯成大神。
中央が竹春大神と竹光大神。
向かって左側に朝吉大明神と吉成大明神。
だと思う。やや判読難なところもあるので違うかもしれない。
本殿の右手、東側は神社の裏手へ通じている小径になっている。
そちらにも神さまの名を刻んだ石が並ぶ。
画像処理でコントラストを強めると文字が読みやすくなる。
あら、さきほどの朝吉大明神と申したのは熊吉大明神だったかも。
まあ読みにくいのですから致し方ござりません。
嶋津龍神。龍神と聞いて手を合わせないわけにはいきませんね。
今年は辰年。龍が好き。子供の頃、関東在住なのに中日ドラゴンズのファンでした。映画はキングギドラのファンでした。
いやこのあたりまではまだ、みなさんに手を合わせてはきてますよ。
ですがねぇ。。。
だんだんお参りも簡略して、申し訳ないが頭を下げるだけになってきた。
ひとつひとつ写真をとっていられないことが、すぐに分かった。
そして、ひとつひとつ参拝することさえ難しいことを、すぐに悟った。
竹中稲荷の裏手にはおびただしい数の祠や石が祀られていて、ちょっと異界感がある。日中ならいいが、日が暮れてきてからでは、ちと心もとない心地がしそうだ。
時間に余裕があり、気力も体力もあるなら、こうゆう神様も余すところなく名を書き残してあげたいのだ。
もともと吉田山は神楽岡とも呼ばれていて、神の集う岡の意味だそうである。古来から何かそうゆう土地なのだろう。
そして奥の院がある。竹劔稲荷神社。
まだまだ探索は続きます。
実は竹中稲荷の裏手にあるというある人物ゆかりの塚をさがしているのです。なかなか見つけられずにいた。迷子です。
これらの神々と少し離れた少し高台なところに薬力大明神がいらっしゃった。この名は先にもありました。
この薬力大明神の後方にあるのが、業平塚。
在原業平の墓とつたわる塚です。
石柱で囲むようにありますが、塚かどうかも定かではないほどのありさま。
とりあえずお参りだけはさせてもらうが、在原業平に墓はいらないんだよなと思う。だって『伊勢物語』を読めばそこにいらっしゃるようだもの。
竹中稲荷から再び吉田神社まで戻り、
出町柳へ抜けてこの日の散策は終わりです。
それにしても京都の夏は暑かった。