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映画『はなれ瞽女おりん』(1977)

水上勉原作の『はなれ瞽女ごぜおりん』を見る。監督は篠田正浩。
どちらかというと救いのない映画かもしれません。ネタバレなし。

映画の話の前に「瞽女〔ごぜ〕」についてご存じない方も多いでしょうから簡単に説明しますと、三味線を弾いて歌などを披露する盲目の女性芸能者です。宴席などによばれることもあるし、門付〔かどづけ〕のように店先や玄関先などで歌うこともあります。

本作の主な舞台は越後の国。地域によって組織の違いがあるかもしれませんが、この地では師匠となる人のもとに数名の弟子がいて、芸の稽古をしつつ師弟で共同生活をおくる。目が見えなくても炊事洗濯掃除はする。

仕事は手引きをしてくれる人がいる。雪深い地域の集落では娯楽も少なく、こういった芸能でも人は集まる。

ただし、男女交際はご法度。

露見すれば「落とされる」。つまり、破門される。師弟の共同生活から離れ、独りとなり「はなれ瞽女」と呼ばれる。
流浪の盲目の芸人である。救われる未来があるとも思えない。

おりんは若狭の生まれ。生まれたときから盲目。六歳で親に捨てられた彼女は、旅の薬売りの紹介で越後の瞽女に弟子入りをする。時代は大正のころ。

物語はすでに「はなれ瞽女」となり独りで旅するおりんが、旅の途上で知り合った男、平太郎に自らの過去のことを語っているところから始まる。

おりんは男と寝たために落とされた。これは夜這いをしてくる男が悪いんだが、おりんのほうも男に抱かれることを望んでいたふしがある。

思えば、目がみえないのだから彼女の世界は触れるものがすべてである。ハナやミミを通して感じる世界もあるが、何かに触れる、或いは誰かと触れることの安心感は目の見える者以上ではなかろうか。

おりんはよく平太郎に抱いてくれというのも、淋しさや不安といったものを打ち消すのには抱かれることが一番よいのかもしれない。
平太郎のほうはおりんを抱かない。抱けば一緒に旅ができなくなるという。

岩下志麻演じるおりんちゃんは、不遇な状況にありながらも健気さがある。原田芳雄演じる平太郎と出会って彼女は生涯で一番の幸福を得たことだろう。
だが平太郎には過去がある。いつまでもおりんと一緒にいられなかった。

この映画には、万才や人形芝居といった地方の芸能の人々が出てくる。瞽女さんばかりではない旅芸人の記録だ。「男はつらいよ」の寅さんみたいな香具師も集っていた。

そういえば、少女おりんを若狭から越後へ連れてくるのも越中の薬売り。定住する寒村の人々より、旅から旅で当時としては情報通である。越後に行けば盲目の少女にも技能次第で食べていけることを知っていた。

カメラは宮川一夫。日本を代表する映画カメラマン。黒澤明の『羅生門』や溝口健二の『雨月物語』などを撮っている。世界でクロサワやミゾグチが評価されたのも宮川一夫のカメラあってこそと言っても過言ではあるまい。

おもに冬や春の北陸の風景がはいる。旅の芸能者は、ちょっと『砂の器』の父子の巡礼姿を彷彿させるが、ここではあまり感傷的には描かれてはいない。

『はなれ瞽女おりん』(1977)
監督:篠田正浩 原作:水上勉 脚本:長谷部慶次・篠田正浩
撮影:宮川一夫 美術:粟津潔 音楽:武満徹
出演:岩下志麻、原田芳雄、奈良岡朋子、樹木希林、安部徹、西田敏行、小林薫、原泉、浜村純

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