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紀行note 神戸市須磨区 幾夜寝覚めぬ須磨の関守 関守稲荷神社 村上帝社
久しぶりに句読点ゼロ文です
読みにくいかもしれませんが
ご寛恕ください
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
幾夜ねざめぬ須磨の関守
源兼昌
この歌は百人一首に採られているので ご存知の方も多いと思います
ただ源兼昌(みなもと の かねまさ)の平安時代後期には 須磨の関はすでになかったようです
友千鳥もろ声に鳴く暁は
ひとり寝覚の床もたのもし
こちらは『源氏物語』「須磨」の巻で光源氏が詠んだ歌です
源兼昌は源氏の歌を踏まえている
そこが藤原俊成の好みにあって百人一首に入ったのかもしれません
俊成は「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」と述べているそうですから
千鳥のなく声に「ひとり寝覚の床もたのもし」などと記していますが
この後に「また起きたる人もなければ 返す返すひとりごちて臥したまへり」とつづいている
そこそこ寂しげなことを仰ってます
九月二十九日
神戸市須磨区を散策している唐崎夜雨は 関守稲荷神社 を参拝
関守稲荷神社は山陽電車山陽須磨駅の北の台地に位置する
須磨の関の守り神だったと言われますが 須磨の関の正確な所在地は不詳のようです
先に訪れた藩架山現光寺(源氏寺)のあたりともいわれています
この散策は歴史散策というよりも文芸散策に近いので厳密な場所よりも気分で語ります
おそらく都人も実際にこの地に立って歌を詠んだわけではなく 歌枕としての須磨から想いを寄せて詠んだことでしょうから
それほど厳密な場所を特定する必要もなかろうかと思う いまは
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関守稲荷神社の境内には源兼昌の「淡路島」の歌碑が建てられている
わりと立派な歌碑です
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ほかにも須磨の関を題にした古歌の拾い書きが境内に記されていた
ほとんどが勉強不足でよくわからない
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拾い書きの最初に挙げらている在原行平の「関吹き越ゆる」の和歌は
『源氏物語』「須磨」の巻で触れているのでご存じより
それから藤原俊成と定家の歌碑もあるようだが写真を撮り忘れた
聞き渡る 関の中にも 須磨の関
名をとどめける 波の音かな 藤原俊成
桜花 たか世の若木 ふりすてて
須磨の関屋の 跡うつむらむ 藤原定家
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つぎに関守稲荷神社から坂を下りて山陽電車のガードをくぐったところにある小さな神社が 村上帝社 という
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琵琶の名手である大納言 藤原師長 は琵琶の奥義を極めたいと 唐へ渡るために都を出て須磨まできた
ところが村上天皇と梨壺の女御の神霊があらわれ 琵琶の妙手を授けたので 師長は唐へ渡る事を思いとどまり京へ帰った
という謡曲「絃上」がある
もともとそうゆう逸話があり謡曲へ落としこまれたのか
それとも謡曲から伝承が生まれていったのか定かではありませんが
この地は村上天皇の縁があるということで天皇が祀られることになったのでしょう
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またいまは山陽電車で分断されてしまっていますが古墳があったようです
その形が琵琶に似ていたとも伝わる
山陽電車の南側に村上帝社があり
山陽電車の北側に隠れるように琵琶塚の碑が建っている
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ここで山陽電車の山陽須磨駅に向かいます
そして一区間だけ山陽電車にのり須磨浦公園駅へ向かいました
つづく