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映画『雁の寺』(1962)
水上勉のエッセイを読んだので水上文学にもう少し触れてみる、映画で。
水上の小説を原作とする映画は何本かある。今回は川島雄三監督の『雁の寺』を見た。
水上勉の原作は1961年に雑誌に連載されたもので、直木賞受賞作。原作を読んだのははるか昔なので記憶にない。映画は1時間40分くらいの尺で気楽に鑑賞できる。
水上は貧しい環境に生まれ九歳のときに口減らしで京都相国寺塔頭の瑞春院に小僧として預けられた。
このときの体験が『雁の寺』となっている。ちなみに、厳しい寺の生活に耐えかねて十三歳で脱走している。
映画『雁の寺』は基本的にモノクロ映画。タイトルと終わり数分だけカラーとなる。終わり数分は現代。モノクロの本編から時代が変わる。
モノクロ本編中はこの寺に観光客なんかひとりも来ない。カラー部分ではよくある観光寺院になり混雑している。
この対比は揶揄か諧謔か。いずれにしても本編の物語は過去のある時の話だということを知る。
また、水上勉は松本清張の『点と線』(1958刊)に触発されて推理小説『霧と影』などを書いた。
モノクロ本編中は禅寺を舞台とした和尚と愛人と小僧の愛欲と苦悩の物語であり、『雁の寺』は推理小説ではないけれども、サスペンスの要素が充分ある。音楽も不穏な空気を漂わせる。
孤峯庵では画家の岸本南嶽(中村鴈治郎)が寺にこもり雁の襖絵を描いていた。南嶽には愛人里子(若尾文子)がいた。南嶽は病に倒れると里子のことを孤峯庵の和尚である慈海(三島雅夫)に託す。ほどなくして南嶽は息をひきとる。
南嶽が亡くなり行くあてもない里子は慈海のお世話になる。孤峯庵には和尚の慈海ほかに暗く陰気な印象で無口な小僧の慈念(高見国一)がいた。
無口で陰気な慈念のなかに少年時代の水上勉が存在しているのだろう。今風に言えば和尚の言動はパワハラ・モラハラとも受け止められかねない。勉少年でなくとも寺を脱走したくもなるし、あるいは殺意さえ抱くかもしれない。
『雁の寺』はフィクションだが水上勉少年が目撃した堕した禅僧が和尚に反映されているのは察せられる。
慈念は若狭の生まれだが捨て子で実の父母を知らない。そのあたりのことも彼を苦しめる。
どうも慈念に水上勉を重ねて見てしまうなぁ。
しかしこの映画はどちらかというと若尾文子の美しさと艶っぽさに酔う映画である。当時東宝の川島雄三監督が大映で若尾文子を主演に撮った三本の映画のうちのひとつ。
はじめ画家南嶽の、そして和尚慈海の囲われものとなる若尾文子の色気。
そりゃ十代の若い修行中の小僧さんにしてみれば匂いたつような女の色香は、和尚のパワハラ以上に苦行でしかない。
カメラが極端な仰角であったり、俯瞰であったり、かなり趣向を凝らしているのも面白い。
『雁の寺』(1962)
監督:川島雄三 原作:水上勉 脚本:舟橋和郎、川島雄三 撮影:村井博 美術:西岡善信 音楽:池野成
出演:若尾文子、三島雅夫、高見国一、中村鴈治郎、木村功、山茶花究、万代峰子、小沢昭一、西村晃、荒木忍、菅井きん