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氣比神宮の境内社を巡る 角鹿神社ほか~かみほとけ巡拝紀行vol.6~
こんばんわ 唐崎夜雨です
先日氣比神宮の参拝記事を松尾芭蕉さんとともに投稿したので 今回は松尾芭蕉さんとはお別れをして 氣比神宮の境内にある摂社末社をたずねてみます
あらかじめ申し上げますが 試みに句読点を使わず書いております
読みにくいかもしれませんがご寛恕ください
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さて氣比神宮の境内の東寄りに
式内社角鹿神社がある
御祭神は 都怒我阿羅斯等命
角鹿神社の社頭にある案内板によりますと
崇神天皇の御代 任那の皇子の都怒我阿羅斯等が氣比の浦に上陸し貢物を奉る 天皇は氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられる その政所の跡にこの命を祀った その命の居館が舞崎区であり同区の氏神が当神社である 現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名に因る 往古は東門口が表参道であったため氣比神宮本社の門神であった
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崇神天皇の時代では まだ氣比神社の御祭神は
神代のむかしから御鎮座されている
伊奢沙別命だけでしょう
現在ご本殿に鎮まる仲哀天皇は 崇神天皇の孫の孫にあたりますから
案内版には
敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名に因る
とある
都怒我阿羅斯等がこの地の政治を任されたから
地名が角鹿となったということかな
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古事記には
応神天皇に献上されたイルカの鼻が潰されて血なまぐさいから血浦
転じてツヌガになったと記している
古事記に載るので古い伝承かと思うがファンタジーだろう
1985年に刊行された志賀剛著『式内社の研究』によると
角鹿の角は角のように飛出している敦賀半島を指し
敦賀湾を「角が浦」といったという
この「角が浦」の「浦」が略され
「が」に「鹿」の文字を当てて
「角鹿」になったとしている
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ド素人の唐崎夜雨的には地図を見て
地形を語源とするほうがしっくりする
角鹿神社の御祭神に関して
一説には本来の御祭神は角鹿国造の祖である建功狭日命であろうという
明治維新まで角鹿神社の祭祀を社家の島氏が扱っており建功狭日命は祖神であるとされているからです
神社は奥が深い
なにしろ日本の神様は基本的に寡黙ですから
角鹿神社のとなりに兒宮
ご祭神は伊弉冊尊
平安朝時代の花山天皇寛和2年遷宮の事が残されているので
それより古くから祀られていたことがわかる
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そのまたとなりに大神前下神社
ご祭神 大己貴命
こちらも式内社とされる
天筒山麓に鎮座されていたのを明治年間に遷す
稲荷神社と金刀比羅神社を合祀。
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気比神宮の境内東北に鳥居がたち
そのさきの公園のような一画に緑が生い茂る場所がある
これは土公と呼ばれている
氣比神宮の古殿地とつたえる
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土公は古来より
触れるなかれ畏み尊ぶべし
とされてきた
氣比大神降臨の地であり
大宝年間以前は土公の地で祭祀がいとなまれていたと伝える
もしかすると気比の主祭神である伊奢沙別命のお墓とか
これで氣比神宮御本社の東側にある
摂社末社を巡りました
ちなみに御本社の東側は
ひろく駐車場になっています
休憩所もトイレもあります
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次は
氣比神宮ご本社の西側にある境内社を巡ります
入口の鳥居を抜けると小さな神社が並ぶ
まず左手に2社が北を向いて鎮座
ついで7社が東向きに鎮座 これを九社の宮と呼んでいる
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さらに奥まったところに2社が南に向いて建っている
この最奥に南面して建っているのが神明社 覆屋がつく
お伊勢さんを内宮は元和年間、外宮は慶長年間に勧請
内宮 御祭神は天照皇大神
外宮 御祭神は豊受大神
そして九社の宮を神明社に近いほうからご紹介します
劔神社 御祭神は姫大神尊
金神社 御祭神は素盞鳴尊
林神社 御祭神は林山姫神
鏡神社 御祭神は神功皇后の宝鏡
天利劔神社 式内社
御祭神は天利劔大神
天伊弉奈姫神社 式内社
御祭神は天比女若御子大神
天伊弉奈彦神社 式内社
祭神は天伊弉奈彦大神
擬領神社
御祭神は武功狹日命
この御祭神は角鹿神社の本来の
御祭神とおもわれた角鹿国造の祖
伊佐々別神社
御祭神は御食津大神荒魂神
御食津大神は気比大神と同じとされている
つまりは御本社の荒魂を祀っている
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最後に出発点の大鳥居の脇にある猿田彦神社
ご祭神は猿田彦大神
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これにて氣比神宮をひとまわり
さて最後に
氣比神宮の南に小さな御手洗川が流れている
そこに藤の花が咲いていた
藤が好き
思いがけない出会いは嬉しいものである
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ではまた次回
まだ敦賀市が続きます