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富岡八幡宮(東京都江東区)に参る

こんばんわ唐崎夜雨です
四月の京都帰省の折に石清水八幡宮を参拝 
東京に戻ってからも八幡さまを参拝しようと
 富岡八幡宮へ 

都内にも数多くの八幡宮および八幡神社はあります
我が家から比較的に近く それなりに大きな八幡さま
 といえば富岡八幡宮

今回も句読点ぬきで書いてます
 あらかじめご了承ください

国土地理院地図 富岡八幡宮周辺
江戸の頃の富岡八幡宮

富岡八幡宮は
 東京都江東区富岡一丁目に鎮座
最寄り駅は地下鉄東西線の門前仲町駅
駅から歩いて5分くらい

富岡八幡宮
富岡八幡宮

門前仲町を東西に通じている永代通りに面して
大きな赤い鳥居がたつ 
この鳥居の額には
富ヶ岡八幡宮と ヶ の字が入っているが
現在は「とみおか はちまんぐう」と称する

鎌倉にあるのが鶴岡八幡宮
 深川にあるのが富岡八幡宮
  市谷にあるのが亀岡八幡宮
   八幡さまは岡が好みのようだ

富岡八幡宮の御祭神は八柱
Wikipediaによると
 主祭神は 応神天皇(八幡神)
 相殿神に 神功皇后 仁徳天皇 天照皇大神 常磐社神 武内宿祢命 日本武尊 天児屋根命 竈大神 とある

富岡八幡宮
富岡八幡宮

参道を進むと正面に丹塗りの拝殿が建つ
楼門のように重曹の建物になっている

それよりも御社殿に向かって左側
つまり富岡八幡宮の境内西域が工事中
通りを挟んで向こうにある
 深川不動の建物が見える

富岡八幡宮と大きな樹木の間の屋根が深川不動の新本堂

令和九年 御鎮座四百年 の記念事業として
境内の西側に客殿や社務所が造られ
境内東側の弁天池まで広々とした空間となるらしい

平日の昼間ではあるが訪れる人は絶えない
深川不動堂に比べるとかなり空いている
参拝を終えて拝殿にある窓口で
 御朱印を拝受 500円だったかな 忘れた

このときいただいた冊子によると
富岡八幡宮は 寛永四年(1627)
 長盛法印 によって創建 とある

長盛法印は京都の人で
 菅原道真の末裔と称したようで
彼は道真作の家伝の御神像を
 永代島の小祠に祀ったのが始まりと言われる

「江戸名所図会」などによると
富岡八幡宮の御神像は
源頼政から千葉家 そして足利尊氏 やがては管領上杉家 そして太田道灌 が尊信した御神像で 道灌没後 所在不明となっていたともいう

源氏の氏神でもある八幡さまは徳川家の信仰もあつく
また日本橋界隈から隅田川を越えてすぐ近くにあるので
庶民のちょっとした行楽地ともなり大いににぎわった 

いや参詣で賑わったのではなく
富岡八幡周辺は水茶屋 料理茶屋 岡場所で賑わった

こうゆうのは今も昔もさして変わらない
お伊勢参りといっても
たいてい神宮参拝だけで終わらない
美味いもの食べたり飲んだり湯につかったりの
余禄に時間と財力を投じる傾向はあろうかと思う

富岡八幡宮のお神輿

富岡八幡宮の例祭は八月十五日を中心に
深川八幡祭と呼ばれる
日枝神社の山王祭 神田明神の神田祭とならぶ
江戸三大祭のひとつとされている
あまりの人気ぶりで詰めかけた人が多すぎて
永代橋が崩落したという事件(1807)も起きたほど

境内には神輿倉があり黄金の神輿を拝見できる
むかって左側の大きな一の宮神輿は
平成三年の作で
 高さは4mを越え
 重さも4トンを超える
こんなの担ぐのかと驚いていたら
 さすがに重すぎて一度しか担がれたことが無いらしい

さて境内社を巡ろう
工事中の北側ににもいくつかの境内社がある
現在は工事のため一度境内から出ないとお参りできない

そこで今回は境内の東側へ向かう 
まずは七渡ななわたり神社
ご祭神は 市杵島姫命いちきしまひめのみこと
粟島神社(祭神 少彦名命)を合祀する

七渡神社 弁天池
七渡神社

市杵島姫命を祀るので
 俗に弁天さまと呼ばれている
当地の地主神だという

唐崎夜雨は八幡さまのファンでもあるが
弁天さまのファンでもある
 そのあたりのことは
 また別の機会にだらだらと記事にしよう

七渡神社のそばに6つの神社が
棟割り長屋のように祀られている
向かって右から
 車折社(清原頼業命)・客神社(宇受売命)
 野見宿祢社(野見宿禰命)
 住𠮷社(住吉神)
 聖徳太子社(聖徳太子命)
 天満天神社(菅原道真命)
 祖霊社(当宮歴代祀職命)・花本社(松尾芭蕉命)

ここでは松尾芭蕉が神さまとして祀られている
芭蕉は自身に命の尊称がついてどう思っているんだろう
ご満悦かしら
 祖霊社と合祀じゃなくて
 ひとつ専用にお社がほしいくらいかしら
まぁまぁそれはともかくお参り

一番手前に芭蕉を祀る

松尾芭蕉は俳聖とされ
 俳句の神さまみたいなところがあるが
個人的には芭蕉の紀行文が気に入っている

私自身「旅〔たび〕」への
 あこがれがあるせいもあろうか
ここでいう「旅」は
 家に帰ることが前提の旅行ではない

また 古人の文は簡潔である
 月日は百代の過客にして
 行きかう年もまた旅人なり
これ現代語にすると 長くなるだろう
まして意味が分かるようにするなら 猶更だ

古文は目で見るよりも
耳から体得した比重が大きいように思う
 平家物語然り
だから古文にはリズムがある
現代語はリズムを殺して意味をとる
 そこがどうにも惜しまれてならない

なんとかならんか とない知恵しぼっていると
 眠くなる

富岡八幡宮境内の横綱力士碑

子どもの頃はよく相撲を見ていた
学校の校庭の砂場でよく遊んだものです
輪島や北の湖が横綱の時代です
あまり昔のことを覚えている性格ではないので
 かなりおぼろな記憶です

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