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読書note『わが友ヒットラー』三島由紀夫
三島由紀夫の戯曲『わが友ヒットラー』を読む。生誕百年に関係なく『サド侯爵夫人』を読んだので。
三島は女性ばかりの『サド侯爵夫人』を書いている時から、対になるような作品を考えていた。
『わが友ヒットラー』は数年前にお芝居を観たことがある。そのことは後述します。
登場人物は男4人だけ。
アドルフ・ヒットラー
エルンスト・レーム
グレゴール・シュトラッサー
グスタフ・クルップ
4人とも実在の人物。
ヒットラーは言わずもがな。レームはナチスの突撃隊幹部。シュトラッサーはナチスの左派の代表的人物。クルップは製鉄会社の経営者。
ただし、あくまでも三島の創作劇。
三幕の戯曲。
時、1934年6月。
所、ベルリン首相官邸。
1934年6月30日に「長いナイフの夜」事件、あるいは「レーム事件」とも呼ばれる事件が起きた。
戯曲『わが友ヒットラー』はこの事件の前後を設定して描いている。
1933年に首相に就いたヒットラーは自らの立場を安定させる為に、一気に右と左を粛清した。非合法的に100人以上が殺されたともいう。これが「長いナイフの夜」と言われる。
レームもシュトラッサーも、この粛清により殺される運命にある。
この戯曲『わが友ヒットラー』はヒットラーよりレームの物語である。レームはヒットラーとの固い友情をまったく疑わなかった。
おそらく殺されるその刹那まで。
三島はヒットラーではなくレームに関心を以て戯曲を書いた。ヒットラーには興味はあれど好きではないそうだ。
ちなみにルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』では、この長いナイフの夜も少し描かれている。
乱痴気騒ぎの突撃隊が一掃されるシーンがある。
レームはナチスの軍事組織である突撃隊の幹部。彼はもっと革命を起こすべきとヒットラーに進言する。
突撃隊を中心にした軍隊の再編を熱望するレームと、国軍の間に軋轢が生じておりヒットラーを悩ませていた。
シュトラッサーはナチスの幹部でかつてはヒットラーのナンバー2とも称されていた人物。ナチス左派の代表的人物でいまは隠遁生活をおくるも、政治的嗅覚は鈍っていない。
右のレームと左のシュトラッサーは水と油。まったく相いれない二人だが、シュトラッサーはいづれヒットラーに二人とも殺されると予見。その前に手を組んでヒットラーを排除しようとレームに誘いかける。
レームはヒットラーとの固い友情を信じ疑わず、シュトラッサーの言うことは妄想だと拒否するのだが。。。
この戯曲の芝居を観たことがある。
2022年松森望宏の演出。
この公演は第30回読売演劇大賞の作品賞上半期ベスト5に選出されている。
その時、観劇に当たり戯曲も読んだ。男ばかり、軍人と政治家と資本家の政治劇で、いま以上に歴史に疎かったのもあって、芝居として面白くなるのかなという思いがあった。
ところが役者が台詞を喋り芝居に熱が入ってくると、耳に届く言葉がまるで音楽を聴いているかのような心地すらしてくる。これには正直驚かされた。
さすが三島さんだなぁと圧倒されたのを覚えている。
だから戯曲読むだけでは不十分だと思った。仏作って魂入れずというが、戯曲では役者が魂を入れてくれないと物足りない。
今回再読して、政治的なセリフの応酬のようでいて、かなり詩的な、文学的な表現が色付けされていること改めて思い知らされた。
さすが三島さんだなぁ。
レーム きけ。俺はお前に大統領になってほしいと思っている。心からそう思っている。しかし、それには力を協せて、この腐った土地の上のごみ掃除をやってのけてからだ。軍部が何だ。口だけではおどしをきかせるが、軍服の中身はからっぽの、あんな金ぴかの案山子のどこが怖い。ドイツには革命的な軍隊は一つしかない。それがわが三百万の突撃隊だ。...…いいか、アドルフ。大掃除のあとでベルリンの広場には、いちめんに純白の絨毯を敷き詰めて、お前を大統領に推戴しよう。忘れてはいけない。革命はまだ終ってはいないのだ。次の革命のあとでドイツは本当によみがえり、ハーケンクロイツの旗は朝風にはためき、あらゆる腐敗と老醜を脱して、若々しい復活したウォーダンの国が、眼は涼しく、逞しく、樫のような腕をしっかりと組み合せた、美しい、男らしい戦士共同体の国が立てられるのだ。お前はその国の首長となる。その国の首長になることこそ、アドルフ、お前の輝かしい運命なんだ。そのためには俺はこの命をさえ捧げよう。