夜の散歩
在宅で仕事を終えたその流れを断ち切れず、デスクから動かずだらだらとYoutubeを見てゲームを進める。
空腹を覚えてはいるものの、それはまだ行動を中断するほどの動機にはならない。
結局PCの前から離れたのは1時間以上経ってからだった。
月の稼働時間が存外に多かったので、先週の時点で突発的に明日の火曜日を休みにしていた。そのためかただ何かを買って来て済ませるのは味気なく、晩飯はどこかに食べに行こうと思い立つ。
しかし時刻は平日の20時。駅前まで行ったって精々がファーストフードかラーメン屋くらいのものである。近所の店を順番に思い浮かべるとマックの時に食べたいセンサーが発動した。
Tシャツとゆるめのパンツに着替えてサンダルで家を出る。一緒に持って出たかばんには今読みかけの小説も入れてある。
店についてバーガーをすぐに食べた後は、ポテトとナゲットを摘まみながら本の続きを読む。何の気なしにSNSにアップした投稿への反応を横目に、いつもよりも好調なペースで読書が進む。
頼んだものは粗方食べ終えたのだが、テーブルに視線をやると座席番号のところにモバイルオーダーのマークがあり、先ほど使ったマックのアプリに「店内から注文する」というメニューがあったのを思い出す。それを見た時はどう客を特定するのかと思っていたがなるほどこれを使うのか、と合点がいく。
そうなると一度これを使ってみるも一興、と思い立ちその場でデザートをオーダーする。暫くして店員が席まで持ってきてくれる。何も予想外ではないが、少し面白い。
デザートを食べてまた暫く読書をした後、切りの良いところで店を出る。
土手を歩いて、月を眺めながらぶらぶらと歩く。
ふと、このまま帰らずにどこかに行こうか、と考えが生まれる。僕にとっては特に珍しいことではない。特に休日の前は自分にすら予想のつかない行動を取りたくなる衝動によく駆られる。数分で帰ることもあれば、数時間歩き続けることもある。
今日は帰ったって予定などは何もなく、さして今すべき事もない。夜を歩きながら今聴きたい曲のプレイリストを脳内でざっと組むと散歩には十分な長さになった。
そんなことを考えながら家の方に向かう分岐を横目に、土手の上を歩き続ける。
自分の住むマンションが土手から見える。自分とそこに住む人以外には何の意味も持たない外観を見て、何となく不思議な気分になる。
視線を正面に戻して、空を見上げる。川の近くだと何が良いって、空が広い。遮るものの無い空に所在なさげな月が浮かんでいる。上弦の月からいくらか経っている形だ。
住宅地と反対側の、川側にはグラウンドや小さな畑が河原までのスペースに詰め込まれている。その隙間や端の方に、誰の目も届かないようなあなぐらのようなスペースがいくつもある。
僕が何かしらの理由で全世界から追われる身になった時に、ああいうところに潜んでいたらどれくらい隠れ続けていられるのだろうか、とそんな場所を見るたびに思う。
何の目的も持たずに夜歩くことは珍しくもないが、今日の僕はこの時の思考を残したいと感じた。即ちこの文章である。誰に見られるでなく、見せたい訳でもないが、何となく形にしたくなった。
その瞬間から僕の意識のもう一段上からその思考を記録する意識が出てくる。普段は文章化しない思考を都度文章として起こし、脳内で絶えず添削と朗読が行われる。目はぼんやりと空を見上げながら、耳はお気に入りの曲を聴きながら、鼻は少し湿度の高い夜の匂いを嗅ぎながら、歩くことのほかに何もしないまま進み続ける。
こういう時は精神が内側に向いている時だ。社会的な繋がりや自分の立ち位置が急にぼんやりとしてきて、外界への関心がひどくまとまりのないものになる。自分の思考と五感から感じるものがシャープになり、次の瞬間の自分の思考を常に追い続けるような感覚になる。
きっと呆けた顔をして歩いているに違いない。
歩き続けて、ふと横を見た時に横断歩道があったので降りてみる。
大きなマンションの入り口に繋がっているが、当然そこには用はないので渡った先を道路に沿って歩き続ける。
道路の反対側にはさっきまで歩いていた土手が伸びている。空は少しだけ狭くなった。暫く道路に沿って歩き続けるが、町の方に入っていく道路がない。道路沿いに立った建物ばかりである。
やがてようやく横に曲がる道路が見えてきて入る。入ったすぐそこの空き地の端っこに、間に合わせの稲荷神社のようなものがぽつんとある。申し訳程度の鳥居と石燈籠のようなこじんまりさのお稲荷さんだ。
進行方向に向き直ると、当然のごとく住宅街のど真ん中に立っていた。古い家と新しい家が混在して立っているある種無秩序な空間を、家の方に戻るとも戻らないとも言えないような方角に向かって歩く。通り過ぎる路地の向こうは一様に薄暗く、街灯がなければ道があるのかもわからない。
その中の路地にふと入ってみる。今度は家の方角に向かってその道を歩く。土手とは比べ物にならない空間の密度と、それぞれの家の隙間から漏れ出てくる人間の生活を感じながら歩く。
街灯しか目印の無い寝静まった住宅街、と書くとさも不気味で、現に僕にとっては正に未知の場所ではあったのだが、この道はここに住む人が最も安心する道でもある。今歩いている道から建物に向かって数歩も座標を移動すれば、それはそこの住人にとってこの世のどこよりも安心できる場所なのだ。
その非対称性をぼんやりと考えながら、何となくの方角に進み続ける。整理された区画ではないので、頻繁に行き止まりに突き当たり、その都度その場の感覚で方向を変えて歩き回る。
あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、やがて広めの車道に出る。直接の見識はないが、地理的に推測すれば自宅すぐそばの道路と繋がっていることは間違いがない。
ここまでは全くの未知の道だったものが、この瞬間に「帰り道」との接続箇所になった。何となく面白い。
結局そのまま知らない道と帰り道のグラデーションになった道に沿って歩き始める。向かいの建物に「絹」という小さな看板が立っていて、すぐ横の扉にはOPENと書かれている。何となく入ってみたくなったが、前述の通り今の僕は思考を残すために頭を動かしている。もし酒でも飲んだら覚えておけなくなるな、と思いやり過ごした。
先ほどまでの住宅街とは異なり、様々な人とすれ違う。
ふと喉の渇きを覚える。現在地はわからないが、どうせ歩いたって脳内の地図を考えてみれば家まであと十分はかからないはずである。
だがまぁこの道を進めばいつも使うコンビニが見えてくるはずでもある。
果たして数分歩いた後に店の明かりが見えてくる。
深く非言語的な思索に耽っている時に、突然生活的な実在感のある情報に接するとそれらの思想が飛んでいくことがよくある。今の僕はかなりふわふわとした強度の思考をいじくりまわして遊んでいる。寄り道でその思考が飛ばないように、頭に薄くベールを張るような感覚になる。
必要最低限のルートとやり取りで買い物を終え、飲み物を飲みながら最早完全に見知った帰り道を家に向かって進む。
夜に歩くといつも思考が溢れて、そしてそれと同時に頭が空っぽになる。
何かについて考えているがその実頭の中には何も残っていない。今こうして家に着いた後に記憶していた先ほどの思考を文字にしているが、それらの思考はもう頭の中にはない。
記憶したものを思い出したものはその時の思考とは似て非なるものである。
いつもは全く後に残らないその思考が、今回は何故かこうして形に残った。
PCに向かってこれを書くうちに、思考が段々と普段通りの情報社会の形に帰ってきている事を感じる。
あの思考を突き詰めていくと、最後はどこにたどり着くのだろうか。
案外あれは僕の思考であって僕の思考ではないのかもしれない。
などという謎の記録である。