『東京2020オリンピックSIDE:A』雑感
先日、6月3日に公開された東京2020オリンピックの公式映画を鑑賞した。
正直、私の中での東京オリンピックは「そういえば去年の夏くらいになんかやっていたなぁ」くらいの印象しか残っていないのだが、なぜ私は観に行こうと思ったのか簡単に説明する。
きっかけは、この映画の監督である河瀬直美氏に密着したドキュメンタリーを昨年末にたまたまテレビで視聴したことである。このことについては以前に以下の記事を掲載したのだが、結論を言えば本作品には全く期待ができないということだった。
当時の番組内で河瀬氏の発言を見る限り、東京五輪は国民皆が喜んで招致したという前提に立たれているような発言が散見されて、「この監督は東京オリンピックを客観的に負の側面を映し出すことは出来ないもしくは隠そうとする」と思った。復興五輪という名のスタートとは程遠い予算増大や利権関係者の様々な醜態そして新型コロナウイルスの世界的パンデミックに対して中止という選択肢なき強行開催などをしっかりと河瀬氏は映し出してくれるのか甚だ疑問だった。
政府関係の仕事も多く引き受けていることから、体制側の人なのか?御用映画監督なのか?ナチス時代のベルリンオリンピックの記録映画監督を務めたリーフェンシュタールの再来かとさえ思った。でも肝心のこの映画を観てもいないのに河瀬氏を批判することは良くない。観に行ってからまた記事を書こうと思ったことがこれまでの経緯だ。
さて、映画を鑑賞しての雑感は『こういう視点もあったか。』と思わさせる描写や心揺さぶられるシーンが何ヶ所かあった。正直、事前に私が予測していたオリンピック翼賛映画にはなっていなかったと思う。ネタバレになってしまうので細かくは言えないが、やはり女性監督ということもあり女性アスリートの葛藤や困難さを丁寧に描いると感じた。
昨年の7月、私個人としては東京2020オリンピックの開催にはあまり賛成できなかった。オリンピックの国威発揚みたいな雰囲気も嫌いだし、あのようなコロナ禍に利権に塗れた旧態依然ジジィとババァのオリパラ関係者が精神論的なことで開催ありきでしか議論できなかった醜態が大嫌いだったからだ。
私が開催を反対する理由にアスリートの努力や尊厳に対する思慮は正直あまりなくて、あいつらが排除されることを願う気持ちだけで賛成できなかったのだとハッとさせられた。
アスリートファーストなんていう言葉を都知事や組織委員長が多用していたが、私や彼ら含め多くの人はこの言葉をただただ消費していただけで、アスリート一人一人がどのような思いを持ってオリンピックというものに向き合っているのかを実際は考えていなかったんだと気付かされるシーンで胸が痛くなった。