#003 トレドの奇跡 (フェルマー出版社 発足秘話 3/4)
中学卒業以来、絵を描いたことのなかった私がトレドで絵を描いた。まさか、このようなことになるとは想像もしていなかった。
トレドに来る前にマドリッドに滞在したのだが、スケッチツアー同行の画家たちは、それぞれの場所で座り込んで絵を描いていた。不思議だった。ポイントを定めて、まとまった時間を過ごす。マドリッドで見るべきものが沢山あるのに、それらを見に行く様子はない。何が面白いのだろう。一箇所にじっと座って絵を描く。時間が流れる。もったいないなあ〜。
マドリッドでは合評会に参加したが、画家たちは、それぞれの作品に対して講師の古山さんから、公開の場で酷評を突き付けられていた。厳しい世界である。画家たちはそれをどう受け止め、消化しているのか。描くことは辛いことではないのか。辛いに違いない。しかし、それでも描く。描くことは楽しそうにも見える。え〜い、どっちなんじゃい。私の心は、理解できないこの問題について敏感になってきた。 絵を描くということは、それほど魅力的なことなのか。私が知らないだけなのか。モヤモヤとした不思議な気分になってきた。
トレドに来ても画家たちは黙々と絵を描いた。私は世界遺産の建物を見たり、エル・グレコの作品を見たり、鞄屋で職人と雑談したりして過ごした。ペリカン万年筆トレドを生み出した彫金技術にも触れ、トレドに来ていることを全身で楽しんだ。
しかし、楽しみながらも、心の片隅で何か割り切れぬ感情がムクムクと湧き上がっていた。何故、画家たちは絵を描くのか。絵を描くことの何が楽しいのか。
エル・グレコさん、貴方はどうだったのか。描くことは楽しいことだったのか、それとも辛いことだったのか。
一人、取り残されたような気持ちでトレドの町を歩いた。割り切れぬ不思議な感情のまま。
カテドラルの前の広場に出た。カテドラルのオレンジ色の屋根が輝いていた。このツアーに参加する際、絵を描くつもりは全くなかったが、同行の人たちがあまりにも無心に描いている、その姿を思い出し、私もちょっと真似事をしてみようかと思った。スケッチブックもペンもない。持ち歩いていたトラベラーズノートにボールペンを使って描くことにした。
一人、高くそびえるカテドラルを見上げた。このようなものを描くことができるのか。無理だろうな。半信半疑で開始した。
巨大な屋根は太陽の光を受けて輝いている。広場では少年たちがボールを蹴って遊んでいる。その様子を時々見ながらカテドラルを描いていたら、傍を通って行く日本人の団体客から聞こえてきた。
「いいわねえ。私もこういうところで絵を描いてみたいわあ」
旅先で絵を描いている人を見て、私もそう思ったことがあったが、実行したことは一度もなかった。私にできるはずはない。最初から断定していた。
しかし、今、私は実行している。旅先で絵を描いている。
絵を描いている私の姿は、カテドラルの前の広場に溶け込んでいるに違いない。
旅の力か。
これは人生の奇跡だ。
少しばかり酔い痴れている自分を感じた。
それまで強かった光が柔らかくなってきた。カテドラルの屋根の色が黄色から山吹色に変わっていた。小さな絵なのに、書き始めてから2時間が経過していた。少年たちはいなくなっていた。ひんやりとした空気が顔を撫でた。
私は2時間もの間、見知らぬ地で、誰とも話をせずに、一人ぼっちで絵を描いた。そのようなことが私にできるとは信じられないことだった。トラベラーズノートを閉じて放心状態のまま立ち上がった。
その後、迷路のようなトレドの道に迷いながら一人でホテルに帰った。夕闇が迫っていた。家々から夕食の用意をしている音が聞こえた。練習中のギターの音も聞こえてきた。ああ、ここで生活をしている人たちがいる。日常がある。これが生きているということだ。私の心は少しずつ現実に戻っていった。
やってみれば、やれるものだ。今まで、自分にはできないことと決めてかかっていた。やらなかっただけのことだった。始めてみる。実行してみる。そこから何かが動き出すかもしれない。
トレドでの奇跡は、その後の私の人生に変化をもたらしたのだった。
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