![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120504263/rectangle_large_type_2_bf9fb4fc716b48aa26686349545c58d8.jpeg?width=1200)
#057 スカンノへの旅 (その5) ベンチの多いこと 多いこと
椅子が好きだ。
ベンチが好きだ。
ベンチを見ると絵にしたくなる。
疲れたら、そのベンチに腰を掛けてボ〜っとしながら、目の前を通って行く人たちをぼんやりと眺める。
そんな私のために、この町はあるのではないかと思ってしまうほど、スカンノにはベンチが多い。広場は勿論、メイン通りから小径にまでベンチがある。最初は、旅人に随分と優しい町なのだなあと思ったけど、旅人はそれほど多くはない。それに、スカンノは小さな町だから、ベンチに座って休むほどのことはない。
道に迷いながら裏道を歩いた。すると、1本奥の裏道にも、更に、もう1本奥の裏道にもベンチがある。それどころか、家の玄関ドアの横にベンチが置いてあり、どう考えても旅人が座るには不自然な雰囲気だ。
ここにもベンチ。あそこにもベンチ。いくらベンチに腰掛けてぼんやりとするのが好きな私でも、座り切れぬほどベンチがある。
これはどういうことなのか。
座っているのは年配の人が多いが、旅人ではなく地元の人であることが滞在3日目くらいになって分かってきた。ああ、いつも座っているあの人だ。だんだんと顔を覚えてきたから分かる。
2人、3人と並んで座り、話している。
1人で座っている人も、前を通る人たちと挨拶を交わしている。
私も1人でベンチに腰掛けてぼんやりとしながら、そのような様子を眺めていた。
そのとき、理解した。
スカンノのベンチはコミュニケーションのツールなのだ。人と話すことが大好きなスカンノの人たちにとって、ベンチは会話を楽しむためのツールなのだ。
日本においてのベンチは、疲れた身体を休めるためという価値観のもの。日本のベンチを見て、これはコミュニケーションを支えているものだとは思いつかない。日本人は語り合うことを忘れてしまったのか。かつては「井戸端会議」なる日本語が存在していたのに。
ベンチを描いていたら、「こんな、絵にならない所を描いて、どうするの?」と、通りがかった画家の古山浩一さんに言われた。いや、私はベンチを描いているのではなく、「人々が語り合う文化」を絵にしているのだ。
私はベンチのある風景を描き続けた。