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耳をすます👂 よくわからないなりに #5

5年前、自分にしてはかなり責任の重い仕事に携わり、

2ヶ月ほど働きづめで、やっと終わりが見えてきた頃、

おでこ周りの毛が一晩で大量に白髪になったことがある。

朝起きて夫におはようと声をかけると突然、

大丈夫か!?と大声で叫ばれ、

そのまま洗面所に連れて行かれた。

鏡を見ると、左眉上部の生え際の髪の毛が、

おでこを縁取るように真っ白になっていた。

驚いて更によく確かめてみると、

左側頭部の髪の根本が広範囲で白くなっていた。

わあぁあ、よかったぁ…

私は半泣きになって、

白髪に思わず手を合わせた。

ショックを受けるよりも、ありがたさに震える私を、

夫は不思議そうに眺めている。

抜けないで、残ってくれて、ありがとう。

かつて一度、全ての髪の毛を失ったことがある私には、

踏ん張ってくれた白髪には感謝の気持ちしかなかった。


小学五年生の頃。

私はクラスの一番後ろの席で、

確か国語の授業の最中、

顔は前に向けたまま、

左手の指を櫛代わりに髪の毛を梳いていた。

当時よくやる癖だった。

突然、指の間に違和感を感じた。

髪の毛をすり抜けたはずの指の間に

ごっそりと髪の感触が残っている。

人差し指、中指、薬指、

それぞれの股の間にごっそりと。

気持ち悪さに心臓がヒュッとなって、

自分の左手の方を見ると、

黒く長い髪の毛の山が、

指の間から手のひらに向かって広がっていた。

今こうして書いても左手がざわつくほどの衝撃。

自分の髪の毛なのではなく、

怪奇現象だと思った。

左手を見つめたまま凍りついている私に、

隣の男子が気づいて、

彼も左手の異変を目にして、

「先生、菊池が大変!!!」と叫んだ。

その叫び声に驚いてクラス全員がこっちを見る。

その全員を見返す私の肩から

サラサラと音が聞こえそうな勢いで、

髪の毛が次々と落ちていった。

たぶん先生は私をすぐ保健室へ連れていったはずだ。

しかし、教室から出た辺りの記憶は曖昧だ。

覚えているのは、

夜、

寝る前にはもう頭にはほとんど髪の毛がなかったこと。

うっすらと産毛のようなものが残っているだけで、

頭皮の何箇所かは、

完全にツルツルの感触の場所があって、

そこは、何度触っても、いつまでも、

あまりにツルツルとして気味が悪く、

それでいて気味の悪い感触は妙に気持ちよく、

いつまでも触るのをやめられず、

寝付くまでずっとこすっていた。

翌日、私は小児科に連れていかれた。

心理学すらまだ一般的ではない昭和時代、

小児心理がどこまで導入されていたかは不明だが、

診察中、私は特になにも聞かれないまま、

親がいくつか質問に答え、

結局診断は「栄養失調」ということになった。 

もしかしたら、子どもの私にはそう伝えておいて、

親は違う診断を聞いたかもしれないけれど、

私は当時そう聞いた。

その時のお医者さんは、

見事につるっ禿げのおじちゃんで、

「おっちゃんの毛はもう生えてこないけど、お嬢ちゃんの毛はまたちゃんと全部生えてくるから安心しなさいね」って、

たぶん10回くらい繰り返し言ってくれた。

栄養失調という診断よりも、

この言葉の方が効き目はあった。

私は、まだ悲しいとか怖いとかすらを感じる余裕もなく、

突然髪の毛が抜けたことにただひたすら驚いていた。

禿げるのはおじさんだけだと思っていたから、

男でも、大人でもない、

小学生の女の子である自分の髪の毛が抜けたことに、

心底驚いていた。

だから、本人がつるっ禿げのお医者さんの、

「お嬢ちゃんはまた生えてくるよ」という言葉は、

なんだか説得力があった。

それから、アデランスに行って、カツラを作った。

頭皮の型を取ったときのことだけを鮮明に覚えている。

横浜駅の大きなビルの、

それまで登ったことがないくらい高い階にある、

美容院と同じような席に座っていると、

丸い枠の中に分厚いビニールの様な何かが張ってある

不思議な道具をおじさんが持ってきて、

座る私の頭頂から、そのビニールの部分を、

ぐぅ〜〜〜〜っと押し付けてきた。

首が曲がりそうな圧迫感はあったが、

ビニールの部分が、

なんともいえない、ちょうどいい熱さで、

ゆ〜っくりと柔らかく伸びながら、

頭皮をみっちりじわじわと包んでいく感触が、

ものすごく気持ちよかった。

この後、

何日くらいだったかは覚えていないけれど、

我が家にショートカットのカツラが届いた。

艶々とした黒髪が美しいカツラだったが、

自分が被ると聞いて、これまた心底驚いた。

カツラには、ピンがいくつも付いていて、

パチン、パチンと数カ所を地毛に絡めて止めるのだが、

地毛が産毛しかないので、うまく止まり切らず、

何度練習しても不安定で落ち着かない。

おまけにすごく蒸れる。

それをかぶって登校することになったのだが、

ものすごく不快だった。

このカツラの不安定さ、不快さが心に影響したのだろうか、

かぶっていることを誰にもバレたくないと思うようになった。

髪の毛が抜けたのはクラスメイトの面前だったこともあり、

私自身は、隠すという発想は持っていなかった。

なので、カツラをかぶるという考えはかなりの驚きで、

同時に、

カツラをかぶっていることがバレることを嫌がるという感情は、

真新しくて、強烈で、私を支配した。

今振り返れば、どう考えても、クラスメイト全員にはバレていたはずだ。

それでも、私は必死に隠すようになった。

ハゲていることではなく、

カツラをかぶっていることを。

それを、本当に、誰にも、知られたくないと、思うようになった。

「私は今髪の毛がなくて、そのまま街を歩くと、

 色々見られたり、言われたりして、

 それはあまり好ましくないので、

 カツラを被ってきます、

 どうぞよろしくお願いします。」

こんな風に、

毎日会う先生やクラスメートに話すことができたら、

すごく楽だったかもしれない。

が、当時はできなかった。

たとえ、誰か大人が、話すように促してくれたとしても、

決してできなかっただろう。

今も、同じ状況になっても、できないかもしれない。

そもそも、

なんで髪の毛が全て抜けてしまったのか、

その理由も説明しようがなかった。

誰にも理解できるはずのない闇を、

幼いなりに抱えていたが、

それを説明する力を私は持っていなかった。

当時の私は毎日、

夜一人で、寝る前になると泣いていた。

その時、ずっと死について考えていた。

父や、母や、姉や、自分が、

いつかは消える、とはどういうことなのか。

誰かがこの世からいなくなるというはどういうことなのか。

どう考えてもわからず、答えの得られないこの問いは、

なぜ、こんなにも恐ろしいのか。

そうした考えにとりつかれ、

ひたすら一人で毎晩泣いて過ごしていた。

死にたいのではないし、

誰かの死について悲しんでいるのでもなく、

純粋に死について考えて、

そして、その真っ暗な感触に怯えて、泣いていた。

死は、おそらく

当時のいじめや、心を傷める出来事や、

生活のあらゆる場面で感じていた、

あらゆる恐怖や不安の集約であり、

しかも、私自身の感情だけではなく、

私を取り巻く人々の感情すらもごっちゃごちゃに混ざりながら、

全ての代理を果たしていたのだろう。

その集約の全てを一つ一つ語る語彙も、意欲も、社交力も、気の強さも、

持ち得てなかった私にとって、

死について真剣に考え、怯え、泣くことは、

必死の哲学であり、

正気を保つ為の治癒でもあり、

しかし、辛い孤独でもあった。

何一つ心の説明ができない中で、

例えば、

髪の毛がないことよりもカツラをかぶることの方が辛い、

こんな気持ちを上手く伝えることができなかった。

もしできたとすれば、

できる実力と、環境があったとすれば、

もともと髪の毛が抜けることもなかっただろう。

さらに困ったのは、

髪の毛が抜けた事態を目の前にして、

周囲が急に、

私を心配して、

何かしてあげなくちゃと駆り立てられるように、

心を、理由を、語らせようとすることや、

理解しようとしてくることや、

もしくは、何も無かったことにしようとしてきたり、

髪の毛が抜けるなんてたいしたことないと勝手に励ましてきたり、

それら全てが、

愛情であり、親切でもあるんだと思いながらも、

とても疎ましく、鬱陶しく感じられて、

ありがたく思えない自分の心に消耗した。

では、私はどうして欲しかったんだろうか?

死についての答えが欲しかったのではないし、

理解して欲しかったのも違う。

多分だけど、

私は、

とりあえず、

髪の毛が抜けたままで、いさせて欲しかった。

髪の毛が抜けたことで、周りに困らないでいて欲しかった。

すごくわがままで、勝手な言い分なんだけど。

でも、

私が髪の毛が抜けたことで、

周りにはあんまり困らないで欲しかった。

私自身は、

髪の毛が抜けたことに心底驚いて、

まだそれ以外の何かを感じる余裕もなかったし、

ましてや、何で抜けたかなんて、

私だって知る由もなかった。

語れるわけがなかった。

とにかくショックを受けた状態だった。

良かれと思って差し伸べられる関心の全てが、

髪の毛が抜けてしまった私を、

どうにかしようと迫るようで、

すぐになんとかしようと迫るようで、

それはまるで、

早く元に戻んなさいよ!

お前の髪の毛が抜けてるとこっちが、困るんだよ!

と迫ってくるようで、

心苦しくなっていった。

髪の毛が抜けたことで周りをものすごく困らせている、

こんな風に感じるようになってしまって、

だから、ハゲは隠さなくてはならないものだと、

でも、隠してることは誰にもバレたくない、と

袋小路にはまるような心地だった。

しかも、残念ながら、

どれだけ、なんとかしようとしてもらっても、

髪の毛が生えるのは、どうしたって時間がかかる。

生やそうとして生えるもんではないし、

ショックが癒えるのにもきっと同じくらい時間がかかる。

それでも、

髪の毛は、待てば生えてきてくれる。

産毛は残っているし、

お嬢ちゃんは全部生えてくるよって言ってくれたし、

だから、

そうか、抜けちゃったか、そうかぁ、って、

一緒に生えてくるのを待っていてくれる、

待っていられる場所と時間が欲しかったんじゃないかな、

って、

今振り返って、

ドキドキする心臓の奥で、

激しく頷いている私を感じる。

その後、約2年間のカツラ生活を超えて、

私の髪の毛は再び生えそろい、

中学校からは、また地頭で登校することができた。

誤解なきように言えば、

カツラを否定しているのではないし、

私自身、カツラを身につけることで、

どれほど守られたかは計り知れない。

そうではなく、

辛かったのは、

この体験を通じて、

自分を追い詰めるクセがついてしまったことだ。

弱っていることや、

傷ついていることは罪であって、

間髪おかずに、どうにかしなくてはならないもので、

もはや、むしろ無かったことにした方がよいことで、

早く良くなれ!

すぐ変われ!

と、

傷つく自分を無かったことにして、

大丈夫なんだと追い詰めるようになってしまった。

この癖は、私を、回復からどれだけ遠回りさせてきただろう。 

ショックを受けたら、

まずは受け止めて、

必要な時間をかけて、

落ち着いたら、

自然と聴こえてくる声に耳をすます、

そうすれば自然と治癒が始まり

新しい方へ向かう生命。

この、本来持つ生きる力を、

どれほど邪魔してきたのか、

辛い場面の度に、

どれほどいらぬことをしてきたのか、

悔やんでも悔やみきれないほど、

謝りきれないほどの邪魔をしてしまった。

自分の邪魔をすればするほど、

同じように、

人の生命の邪魔もしただろう。

大切な人であればあるほど、

その度合いは増しただろう。

だからこそ、

ようやく自分の声に耳をすませるようになって、

身体の芯を少しずつ感じられるようになって、

私は心底誓った。

何かあった時は、待とう。

声が聞こえるまで待とう、

声が聞こえるように待とう、

自分の声も、人の声も、

聞こえるように待とう、と。

その声は、時には、ものすごく小さいから、

自分が叫んでいたら聴き取れないほどの声だろうから、

誰かの辛さや、悲しみを感じていても、

自分のことに重ねて叫んでしまえば、

聞こえなくなるほどに小さいだろう。

大切な人に早く元気になってほしくて、

こうすればいいじゃん!って言いたくなる時こそ、

グッとこらえて、

その時は、

当事者の、その人の声が聞こえてくるように待とう。

声は、

髪の毛が抜け落ちる音よりもなお、

小さいかもしれない、

だからこそ、

その時ばかりは、

耳を澄まして待とう。

この大切な耳を日々養うために、

だからこそ、

自分の心に耳をすまそう。

微力で、ささやかで、全力の誓いであって、

まだまだ下手だけれど、

粘り強く、丁寧に、

よく耳を使い、

気持ちよく声を出そう。

練習練習。


とはいえ、あんまり"人の話"は聞かない😆

それもよきよき✨🌈

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