スピッツの歌詞の世界と、民俗学。
どんな分野でも、意外な結びつきを知るとうれしくなる。
隠れた、そんな結びつきを発見すること自体も、なんだか創造的だ。
次に挙げる本は、私にとって、そんな新しい結びつきを示してくれる。
民俗学者として有名な柳田國男とは、また違った視点から日本列島の歴史を描いた、旅する民俗学者・宮本常一氏。
――彼の足跡を筆者が訪ねて、聞き書きをしながら考察をした本だ。
そうした本のあとがき「なぜ旅をするのか?」に、一見唐突に、スピッツ草野マサムネ氏のことばが出てくる。
「それまでの自分の価値観をひっくり返されるくらい面白くて。それまでカッコいいと思っていたものが、実はそんなにカッコよくないんじゃないか(略)って初めて気づいたんです」
「自作について、「旅立ちの歌が多いよなあ。ラヴ・ソングもあるけど、“一人で”とか、“自力で”とか“歩いてゆく”っていう」とも語っている」
宮本常一『忘れられた日本人』の読後感を語る草野マサムネ氏のインタビューが掲載された、『ダ・ヴィンチ』1996年6月号の言葉が紹介されている。
この記事を見つけ出された、著者の木村哲也氏には脱帽だ。スピッツと宮本常一、それぞれのファンであった私でも、この繋がりには気づかなかった。
僕が民俗学を好きなのは、今信じきっている常識が実はすごく薄っぺらいものなんじゃないかって気づかせてくれるから。こうしなきゃいけないって思い込んでいるものも、実はそんなにたいした根拠はないって思うと、なんか楽になる感じがするんですよね
筆者は、『ダ・ヴィンチ』2002年11月号のインタビューに再登場した草野氏のことばを引用している。
現代を生きていると、知らず識らずのうちにこびり付いてしまう規範とかモノサシが、実は絶対的なものではないこと――体を少しナナメに(半身)にするような、そんな感覚がたしかに民俗学にはあるような気がしている。
旅することによって、埋もれていた記憶が掘り起こされ、支配的言説が問い直され、新たな認識に至る。(中略)
歴史の塗り替え。――それが、宮本常一の旅から私が学んだ最大のことだ。そして、なぜ旅をするのか? という問いへの答えでもある。
筆者の木村哲也氏は、こういった風に宮本常一氏の仕事をとらえている。
私も大学時代に、宮本常一氏の本にとても影響を受けました。
さて! ここからは、スピッツの楽曲の中から、民俗学に影響を受けているのではないか?と推察した歌詞をご紹介していきます。
「混沌の色に憧れ 完全に違う形で 消えかけた獣の道を 歩いて行く」
↑ 「歩き出せ、クローバー」より
「消えかけた獣の道」という箇所が特に。
「野生の残り火抱いて 素足で走れば」
↑ 「渚」より
これからも歌詞の探求を続けてゆきます!
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